昨夜は松本泊まり。今日は行方定めず、あちこちをぶらぶら。久しぶりの生命の洗濯日。




2003ソスN3ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0232003

 出替や幼ごころに物あはれ

                           服部嵐雪

は別れの季節。昔もそうだった……。季語は「出替(でがわり)」で春。いまや廃れてしまった風習だ。奉公人が契約期間を終えて郷里に帰り、新しい人と入れ替わること。その日は地方によって一定していないが、半期奉公の人が多かったので、三月と九月に定められていたようだ。三月に郷里に戻る人は、冬の間だけ出稼ぎに来て、戻って本業の農作業に就いた。現代で言う季節労働者である。なお、秋の出替は「後の出替」と言って春のそれと区別していた(曲亭馬琴編『俳諧歳時記栞草』参照)。新しい歳時記からは削除された項目だけれど、それでも1974年に出た角川版には掲載されている。たとえば『半七捕物帳』で有名な岡本綺堂の句に「初恋を秘めて女の出代りぬ」があるから、昭和初期くらいまでは普通に通用していた季語であることが知れる。掲句は、半年間慣れ親しんだ奉公人の帰る日が来て、主家の子供が「幼(おさな)ごころ」ながらも、物の「あはれ」を感じている。よほど、その人が好きだったのだろう。もう二度と、会えないかもしれないのだ。相手も去りがたい思いで、別れの挨拶をしたに違いない。この子がもう少し長じていれば、綺堂の句の世界につながっていくところである。『猿蓑』所載。(清水哲男)


March 0132003

 桜餅三つ食ひ無頼めきにけり

                           皆川盤水

まりに美味なので、ついたてつづけに「三つ」も食べてしまった。で、いささか無法なことでもしでかしたような、狼藉を働いたような感じが残ったというのだろう。和菓子は、そうパクパクと食べるものではない。食べたって構わないようなものだが、やはりその姿を楽しみ、香りを味わい賞味するところに、他の菓子類とは違う趣がある。「葉の濡れてゐるいとしさや桜餅」(久保田万太郎)という案配に……。しかし、こんなことを正直に白状してしまっている掲句は、逆に「無頼」とは無縁な作者のつつましい人柄を滲ませていて、好もしい。こうした体験は、誰にでも一度や二度はあるのではなかろうか。大事にしていた高級ブランデーを、つい酔いにまかせてガブガブ飲んじゃったときとか、ま、後のいくつかの例は白状しないでおくけれど、誰に何を言われる筋合いはなくても、人はときとして自分で勝手に「無頼」めき、すぐに反省したりする。そこらへんの人情の機微が的確に捉えられていて、飽きない句だ。なお余談ながら、一般的に売られている桜餅は、一枚の桜の葉を折って餅を包んであるが、東京名物・長命寺の桜餅は大きな葉を三枚使い、折らずに餅が包んである。『随處』(1994)所収。(清水哲男)


February 2822003

 二月尽雨なまなまと幹くだる

                           石原舟月

語は「二月尽(にがつじん)」で春。といっても、独立させてこの項目を持つ歳時記は、めったにない。たいていは「二月」の項目に、附録みたいにくっつけてある。それというのも、「二月尽」が使われはじめたのは昭和の初頭くらいからで、かなり新しい季語だからだ。昔の人は陰暦で暮らしていたので、二月が終わることになっても、格別の情感は浮かばなかったろう。ちなみに、今年の陰暦二月の入りは陽暦三月三日だし、尽きる日は四月一日だ。梅も散って桜が咲くのが、昔の二月というわけで、もう仲春だった。ところが、明治初期に陽暦が採用されてからは、春は名のみの寒い月となり、明日から春三月と思うことに、特別な感情が徐々に加わるようになる。徐々にというのは、生活に陽暦感覚が定着するまでには長い時間がかかったという意味で、ようやく根づいたと言えるのは、この季語がおずおずと顔を出した昭和の初期ころだったと思われる。すなわち新季語「二月尽」には、本格的な春の訪れも間近だという期待が託されている。別の季語に翻訳すれば「春隣」に近いだろう。掲句のキーワードは「なまなまと」の措辞だが、そっけない寒期の雨とは違って、なまなましくも親しみを覚える雨である。陽春近しと微笑する作者の姿が、重なって見えてくる。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。本書は「二月尽」の独立項目を持つ。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます