三寒四温とは、よく言ったものですね。季節はそんな流れのなかに入ってきたようです。




2003ソスN2ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2022003

 母情より父情がかなし大試験

                           田島 澪

語は「大試験」で春。明治のはじめころには、進級試験を「小試験」、卒業試験を「大試験」と言ったので、この季語が生まれたようだ。が、掲句のそれは、現今の入学試験のことだろう。受験生のいる家庭では、母親がなにくれとなく世話をやき、父親はたいていが黙っていて、何もしてやらない。仕事が忙しいということもあるけれど、母親のように親密に子供に接することができないので、何もして「やらない」のではなくて、何もして「やれない」のが実情だと思う。その「父情」が「かなし」と詠んだ作者は、俳号から推すと女性だろうが、自身が受験生であったときに、かつての父親の自分に対するもどかしげな感情を、敏感に察知していたということになる。あるいは、作者は既に受験生の母親であり、その立場から見ていて、自分よりも夫のほうがよほど子供のことを心配する「情」を持っていると実感しているのかもしれない。いずれにせよ、不器用な「父」への思いやりに溢れた句だ。読者は自分が受験生のころのことを思い出したり、または現に受験生の親であることを自覚したりと、掲句に接しての思いはいろいろだろう。その「いろいろ」を引っ張り出す力を、この句は持っている。「かなし」の根源は、受験制度そのものにあるなどと、ここで正論を述べ立ててもはじまらない。受験生を抱えた父も母もが、そんな理屈とは別次元のところで、同じように「かなし」なのだ。だが、いちばん孤独で「かなし」なのは、当の受験生であることを、この句は言外にくっきりと示しているとも思えた。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


February 1922003

 春萱に氷ノ山その氷のひかり

                           友岡子郷

ずは、句の読み方を。「はるかやにひょうのせんそのひのひかり」。「氷ノ山(ひょうのせん)」という珍しい読みの名の山は、ずいぶんと有名らしいが、掲句ではじめて知った。この山の名をこよなく愛するという作者によれば、「兵庫、鳥取二県の接点にそびえる高岳で、厳冬のころは風雪に荒(すさ)ぶ険しさがあるゆえ、この名が付いたにちがいない。人界から離れて、きびしい孤高を保っているかのような山の名である」。調べてみたら、中国山脈の山のなかでは、大山についで二番目の高さだという。早春。名山を遠望する作者の周辺には、すでに「萱(かや)」や他の野の草が青々と芽吹いており、本格的な春の訪れが間近いことを告げている。だが、彼方にそびえ立つ氷ノ山にはまだ雪が積もっていて、厳しい「氷(ひ)のひかり」を放っている。このコントラストが、非常に美しい。このとき、作者に見えているのは、おそらく山頂付近だけなのではあるまいか。場所にもよるだろうが、絵葉書の富士山のように、すそ野近くまでは見えていないのだと思う。したがって、ますますコントラストが際立つ。「ひ」音を畳み掛けた手法も、実景そのものにくっきりとしたコントラストがあっての上での、必然的なそれだろうと読んだ。『日の径』(1980)所収。(清水哲男)


February 1822003

 電文のみじかくつよし蕗のたう

                           田中裕明

語は「蕗のたう(蕗の薹)」で春。電報が届いた。みじかい「電文」だが、実に簡潔で力強い。読者には祝電か弔電かはわからないが、たとえ弔電にしても、作者は大いに励まされている。折りしも、早春の候。いち早く萌え出た「蕗のたう」のように、その電文は「みじかくつよし」と写ったというのである。「蕗のたう」は電文のありようの比喩であると同時に、作者の心のなかに灯った明るい模様を示していて、説得力がある。それにしても、最近は電報を打つことも受け取ることも少なくなった。昔は冠婚葬祭向けにかぎらず、急ぎの用件には電報を使った。例の「カネオクレタノム」の笑い話が誰にも理解できたほどに普及していたわけだが、いまではすっかり電話やメールに座をあけわたしている。電報代は安くなかったので、頼信紙の枡目とにらめっこしながら、一字でも短くしようと苦労したのも今は昔の物語。若い人だと、電報を打ったことのない人のほうが、圧倒的に多いだろう。……と思っていたら、最近では「キティちゃん電報」なるものが登場して、女の子の間ではけっこう人気があるのだそうな。そしてこのところ、もう一つ増えてきたのは、ヤミ金融業者が「カネカエセ」と発信する督促電報だという。たとえ電話代より高くついても、連日夜中に配達させると、近所の人たちの好奇心をあおることにもなるので、心理的な効果が大きいと睨んだ企みだ。いくら簡潔な電文でも、こいつだけは「蕗のたう」とはまいらない。『先生から手紙』(2002)所収。(清水哲男)




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