庭の木蓮のつぼみが、ぐんぐんとふくらんでいる。この活力にあやかって元気を出そう。




2003ソスN2ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1822003

 電文のみじかくつよし蕗のたう

                           田中裕明

語は「蕗のたう(蕗の薹)」で春。電報が届いた。みじかい「電文」だが、実に簡潔で力強い。読者には祝電か弔電かはわからないが、たとえ弔電にしても、作者は大いに励まされている。折りしも、早春の候。いち早く萌え出た「蕗のたう」のように、その電文は「みじかくつよし」と写ったというのである。「蕗のたう」は電文のありようの比喩であると同時に、作者の心のなかに灯った明るい模様を示していて、説得力がある。それにしても、最近は電報を打つことも受け取ることも少なくなった。昔は冠婚葬祭向けにかぎらず、急ぎの用件には電報を使った。例の「カネオクレタノム」の笑い話が誰にも理解できたほどに普及していたわけだが、いまではすっかり電話やメールに座をあけわたしている。電報代は安くなかったので、頼信紙の枡目とにらめっこしながら、一字でも短くしようと苦労したのも今は昔の物語。若い人だと、電報を打ったことのない人のほうが、圧倒的に多いだろう。……と思っていたら、最近では「キティちゃん電報」なるものが登場して、女の子の間ではけっこう人気があるのだそうな。そしてこのところ、もう一つ増えてきたのは、ヤミ金融業者が「カネカエセ」と発信する督促電報だという。たとえ電話代より高くついても、連日夜中に配達させると、近所の人たちの好奇心をあおることにもなるので、心理的な効果が大きいと睨んだ企みだ。いくら簡潔な電文でも、こいつだけは「蕗のたう」とはまいらない。『先生から手紙』(2002)所収。(清水哲男)


February 1722003

 世の中よ蝶々とまれかくもあれ

                           西山宗因

者・宗因は、言わずと知れた江戸期談林派の盟主。とにかく(「とまれかくもあれ」が「とまれかくまれ」に言い掛けてある)、「世の中」なんてものは、深刻に考えだしたらキリがない。「蝶々」が花から花へ止まったり移ったりするように、すべからく我々も好き勝手なことをして生きるべきだ(「かくもあれ」)と呼びかけている。「そんなことを言われても無理……」という読者の反応も、ちゃんと計算済みの句だ。というよりも、本人がいちばん「無理」を承知の上での作句なのだろう。この句から自然に思い起こされるのは、誰もが知っている「ちょうちょう」という子供の歌だ。♪ちょうちょう ちょうちょう/菜の葉に とまれ/菜の葉に あいたら/桜にとまれ……。作詞は明治期の野村秋足という人だが、もしかすると、掲句を踏まえているのかもしれない。と思えるほどに、内容が酷似している。こんな享楽思想を、いたいけない子供たちに吹き込んでよいものだろうか(笑)。蛇足ながら、「ちょうちょう」のメロディは日本製ではない。原曲がスペイン民謡であることは、知る人ぞ知るところ。さて、また新しい一週間のはじまりですね。今週もお互いに、「とまれかくまれ」掲句なんぞは忘れて(!?)がんばりましょうや。(清水哲男)


February 1622003

 みえねども指紋あまたや種袋

                           小宅容義

語は「種袋(たねぶくろ)」で春。春先になると、花屋や駅構内などの片隅のスタンドに、草花の種の入った紙袋がいっせいに並べられる。けっこう人気があるようで、いつも何人かの人が見ている。私が買うのは、もう少し経ってからの朝顔の種くらいのものだが、ついでに他の花の「種袋」をついつい引き抜いて見ることが多い。おそらくは、みんなもそうしているのだろう。だから、いちばん手前の種袋は、たしかに「みえねども指紋あまた」であるはずだ。その「あまた」に、作者は春本番間近な人々の自然な気運を察して、喜びを感じている。他で、そういうことが気になるのは、たとえば書店で平積みになっている雑誌や本を買うときだろう。ここでもまた「指紋あまた」であることは間違いなく、たいがいの人はいちばん上のものは避けて買っていく。「指紋」というよりも、見ず知らずの人の「あまたの手垢」を感じるからだろう。ところで元雑誌編集者としては、この平積みのいちばん上の雑誌や本を見るのが、いまでも辛い。売り物にならないサンプルというふうには、なかなか割り切ることができないのだ。中身は同じなんだから、上から順番に買ってくれよ、そんなに乱雑に扱うなよ。書店にいると、そこらへんの誰かれに言いたくなってしまう。だから、よほどヨレヨレになっていないかぎりは、いちばん上の「指紋あまた」(のはず)のものを買うことにしている(ただし、パソコン雑誌のCD附録つきのものは別)。出版界へのささやかな私流仁義なのです、これは。でも、種袋となると、いくつかを取っ換え引っ換えし軽く振ってみて、なんとなく重量感のありそうなものを買う。すみませぬ。『俳句研究年鑑・2003年版』所載。(清水哲男)




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