気の遠くなるほどの偶然事の連鎖があって、我の必然がある。日曜日ゆえのタワゴトです。




2003ソスN2ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1622003

 みえねども指紋あまたや種袋

                           小宅容義

語は「種袋(たねぶくろ)」で春。春先になると、花屋や駅構内などの片隅のスタンドに、草花の種の入った紙袋がいっせいに並べられる。けっこう人気があるようで、いつも何人かの人が見ている。私が買うのは、もう少し経ってからの朝顔の種くらいのものだが、ついでに他の花の「種袋」をついつい引き抜いて見ることが多い。おそらくは、みんなもそうしているのだろう。だから、いちばん手前の種袋は、たしかに「みえねども指紋あまた」であるはずだ。その「あまた」に、作者は春本番間近な人々の自然な気運を察して、喜びを感じている。他で、そういうことが気になるのは、たとえば書店で平積みになっている雑誌や本を買うときだろう。ここでもまた「指紋あまた」であることは間違いなく、たいがいの人はいちばん上のものは避けて買っていく。「指紋」というよりも、見ず知らずの人の「あまたの手垢」を感じるからだろう。ところで元雑誌編集者としては、この平積みのいちばん上の雑誌や本を見るのが、いまでも辛い。売り物にならないサンプルというふうには、なかなか割り切ることができないのだ。中身は同じなんだから、上から順番に買ってくれよ、そんなに乱雑に扱うなよ。書店にいると、そこらへんの誰かれに言いたくなってしまう。だから、よほどヨレヨレになっていないかぎりは、いちばん上の「指紋あまた」(のはず)のものを買うことにしている(ただし、パソコン雑誌のCD附録つきのものは別)。出版界へのささやかな私流仁義なのです、これは。でも、種袋となると、いくつかを取っ換え引っ換えし軽く振ってみて、なんとなく重量感のありそうなものを買う。すみませぬ。『俳句研究年鑑・2003年版』所載。(清水哲男)


February 1522003

 汗くさき青年歌集明日ありや

                           清水哲男

青年歌集
年に一度の自句自戒(!?)の日。いったい、あのただならぬ熱気は何だったのか。私がもぞもぞと学生運動に関わった1950年代後半ころの「歌声運動」のフィーバーぶりは……。いまでも鮮かに思い出すのは、一回生の初夏に、奈良での闘争を支援すべく、京都府学連が大挙して電車で向かったときのことだ。一般乗客は我々を避けて、他の車両に移動したのだったろう。貸し切り状態の車内で、私たちは歌いっぱなしであった。各国の革命歌をはじめ、「原爆許すまじ」「国際学連の歌」などの反戦歌やロシア民謡はわかるとして、不思議なことに日本民謡やシャンソンなども。がり版刷りの歌詞も用意されていたが、気のきいた奴は『青年歌集』を携帯していた。表紙に名前の見える関鑑子は、いまの東京芸大を出て、戦前には日本プロレタリア音楽家同盟で活躍した人。戦後はじめて開催されたメーデーの中央壇上で歌唱指導をし、「三十万人の群衆に対しては、どんな優れた音楽家でも一人よりは百人の合唱隊の方が必要だ」と述べている。表紙は、普通の農家の人々が楽しそうに歌っている写真だ。これは今で言うヤラセの図だとは思うけれど、当時の雰囲気としては、ありえない光景だなどとは言えないほどに、歌声運動は浸透していたのだ。告白しておけば、私は歌声運動が好きじゃなかった。デモの先導車でマイクを通して歌ったこともあるけれど、みんなで声を合わせるのが性に合わないのだった。「革命」運動に歌なんていらない……という気持ちもあった。それでも必要なので、何冊かの『青年歌集』は持っていた。京都を離れるときに、歌声喫茶の歌集とともに、みんな捨ててしまった。それにしても、あの頃の歌へのすさまじい熱気は、何だったのだろうか。『匙洗う人』(1991)所収。(清水哲男)


February 1422003

 バレンタインの消えない死体途中の花

                           鈴木六林男

語は「バレンタイン」で春。新しい歳時記を見ると、たいてい「バレンタインの日」として登録されている。ご存知ではあろうが、まずは能書きを。「2月14日。後顧の憂いを絶つため遠征する兵士の結婚を禁じたローマ皇帝クラウディウスに反対したバレンタイン(ウァレンティノス)司祭が処刑された270年2月14日の記念日と、この季節に木々が芽吹き小鳥が発情することとが結合した風習といわれる。初めは親子が愛の教訓と感謝を書き記したカードを交換する習慣だったが、20世紀になって、男女が愛を告白して贈り物をしたり、とくに女性が男性に愛を告白する唯一の日とされるようになった」(佐藤農人)。数々の句が作られているが、掲句のように、たとえ「死体」であれ「バレンタイン」その人を詠んだものは珍しい。「途中の花」とは、まだ完全には咲ききってはいない花。すなわち、若い男女を指しているのだろう。このときに、作者の思いのなかには、たぶん世阿弥の「時分の花」や「秘すれば花」があったのではなかろうか。いつの時代にも「途中の花」が存在するかぎり、いつまでもバレンタインの死体は消えない。生々しくも、作者には彼の死体が見えるというのである。これから先の解釈は、いろいろにできるだろう。が、敢えて私はここで止めておく。ごつごつした句だけれど、いや、それゆえにか。かつて一読、強い印象を受けて、毎年バレンタインの日が来ると、思い出してしまう。『桜島』(1975)所収。(清水哲男)




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