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February 1422003

 バレンタインの消えない死体途中の花

                           鈴木六林男

語は「バレンタイン」で春。新しい歳時記を見ると、たいてい「バレンタインの日」として登録されている。ご存知ではあろうが、まずは能書きを。「2月14日。後顧の憂いを絶つため遠征する兵士の結婚を禁じたローマ皇帝クラウディウスに反対したバレンタイン(ウァレンティノス)司祭が処刑された270年2月14日の記念日と、この季節に木々が芽吹き小鳥が発情することとが結合した風習といわれる。初めは親子が愛の教訓と感謝を書き記したカードを交換する習慣だったが、20世紀になって、男女が愛を告白して贈り物をしたり、とくに女性が男性に愛を告白する唯一の日とされるようになった」(佐藤農人)。数々の句が作られているが、掲句のように、たとえ「死体」であれ「バレンタイン」その人を詠んだものは珍しい。「途中の花」とは、まだ完全には咲ききってはいない花。すなわち、若い男女を指しているのだろう。このときに、作者の思いのなかには、たぶん世阿弥の「時分の花」や「秘すれば花」があったのではなかろうか。いつの時代にも「途中の花」が存在するかぎり、いつまでもバレンタインの死体は消えない。生々しくも、作者には彼の死体が見えるというのである。これから先の解釈は、いろいろにできるだろう。が、敢えて私はここで止めておく。ごつごつした句だけれど、いや、それゆえにか。かつて一読、強い印象を受けて、毎年バレンタインの日が来ると、思い出してしまう。『桜島』(1975)所収。(清水哲男)




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