資源を求めない戦争が、かつてあっただろうか。正義だの何だのと理屈をくっつけるな。




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February 1322003

 梅咲いてまたひととせの異国かな

                           ジャック・スタム

文は、
plums blossom
another year
another country  Jack Stamm

作者は、ニューヨークと東京を行き来していたコピー・ライターだった。江国滋さんと親しかったので、かつて私が担当していた TOKYO FM の朝番組の新春句会に、一度ご登場願ったことがある。宗匠役には、金子兜太さんに坐っていただいた。もう十数年も前の話で、江国さんもスタムさんも鬼籍に入られてしまったが、当時のスタムさんは東京に腰を据えられているという印象だった。そんな印象があるので、掲句は余計に心に沁みる。「またひととせ」の「異国」生活か……。桜や他の花ではなくて、梅花だからこその孤独感が漂っている。いくら日本語が堪能で東京に慣れているとはいっても、異国で暮らしていると、私などには想像もできない原因で、淋しさに襲われることがあるだろう。英語の句のぶっきらぼうで乾いた調子が、日本語の句よりも、それを告げていると思った。「biossom(咲く)」だけが動詞で、あとはブツ切れ。いかにも俳句的な技法といえばそれまでだが、英文には「かな」の切れ字がないだけに、それだけまっすぐに気持ちが伝わってくる。スタムさんの句は、どちらかの言語で書いた句を、どちらかの言語に翻訳したものではない。両方ともに、それぞれの言語で創作したものだ。したがって、二つの句の微妙な味わいの差は、そのまま作者の言語生活の微妙な差として現象している。思えば、貴重な存在の「俳人」であった。『俳句のおけいこ』(1993・河出書房新社)所収。(清水哲男)


February 1222003

 春一番縁の下より矮鶏のとき

                           半谷智乗

ちゃぼ
語は「春一番」。立春後の強い南風を言うが、元来は壱岐の漁師の用語だったという説。なるほど、風と生活が結びついた仕事ならではの言葉だ。それがいつしか海風と切り離されて使われるようになったのは、どこかの新聞が現在の意味で書いて以来というのが有力な説。マスコミおそるべし。したがって、この季語は比較的新しいものだ。句は、強い風が吹いているので、吹き飛ばされかねない小さな体の「矮鶏(ちゃぼ)」は、「縁の下」にもぐってしまった。でも、かくれながらも、そこは雄鶏らしく勇ましそうに「とき」を告げているというのである。実景としては見えていない矮鶏の愛らしさが伝わってきて、微笑を誘われる。子供のころに矮鶏を飼ってほしいと親にせがんだ記憶があるが、飼ってもらえなかった。他の鶏たちとは違い、卵も売れなければ肉食にもならない。生活の足しにならなかったからだ。あくまでも愛がん用というわけで、飼っている家を思い出すと、みな比較的裕福だった。最近ではとんと見かけないけれど、動物園などにはいるらしい。狭山市立智光山公園こども動物園のサイトから、矮鶏の解説を引いておく。図版も。「江戸時代初期、ベトナムの占域(チャンバ)より渡来したことから、「チャボ(矮鶏)」と名付けられました。小さい体、短い脚など、どこか品位のある可愛らしさは世界的に人気が高く、各国で『チャボクラブ』などの愛好団体が結成されています。また、日本鶏で最も内種が多く、現在25種に達しています」。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


February 1122003

 退屈なガソリンガール柳の芽

                           富安風生

語は「柳の芽」で春。一項目別建ての季語であることから、古来、その美しさを愛でる人々の多かったことが知れる。さて、わからないのが「ガソリンガール」だ。なんとなくガソリンスタンドに派遣された石油会社のキャンペーン・ガールを想像して、調べてみたら、単なる可愛い娘ちゃん役だけではなかったようだ。新居格(にい・いたる)という人の昭和初期の文章に、こんな件りがある。「ガソリン・ガールには、わたし達は直接に何の交渉もない。汽船の給水におけると同様、ガソリン・ガールは自動車に活力を與へる重要な任務をもつ。/わたしは内幸町を歩いてゐた。そこへ一臺のオートバイがガソリンを詰替るべくかけつけた。生憎、ガソリン・ガールは休んでゐた。/「何だ、居ないのか」さういつて疲れ切つたオートバイを引張つて行つた青年のがつかりした姿が、ありゝゝと目に残つてゐる。/わたしは目じるしの、シエルと英字で書いた街頭のガソリン供給の小舎に近づいた。管理人×××子その人は休日でゐなかつた。/街頭のまん中に黄色のポンプ、その前に小舎。小舎は小さい交番にもたぐへられる。/ガソリン・ガールの居所らしい小舎だ。窓の小いのも女らしい小舎の表現である。屋根の色、小舎の色。思ひ做しか何となく物優しい色に思へる。それに春の夕日が照り添つてゐる。ほの白い薄明のなかに「火氣嚴禁」がハツキリと浮かんで見える。/管理人のガソリン・ガールの休みの日だ。どんな人だか知る由もなかつたけれど、どうも、その人が知的美の持主で聰明さうに思へてならなかつた」。看板娘の意味合いもあったかもしれないが、実質的には給油から管理までを担当する「職業婦人」だった。芽吹く柳のかげに、客待ちで退屈しきったモダンな職業の女。これはそのまま、昭和モダンの一景として絵になっている。ちなみに、新居格は左翼の評論家として出発し、戦後は杉並区長に当選したという変わった経歴を持つ。「モガ(モダンガール)」という言葉を流行させたのも、この人だったらしい。『十三夜』(1937)所収。(清水哲男)




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