テレビ50年。あれだけ人気を博した街頭テレビの設置場所が、記録に残っていないとか。




2003ソスN2ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0222003

 白き巨船きたれり春も遠からず

                           大野林火

語は「春」。……と、うっかり書きそうになった。試験問題に出したら、間違う生徒がかなりいそうだな。正解は「春も遠からず(春近し・春隣)」で、冬である。林火は横浜に生まれ育った人だから、こうした情景には親しかった。大きくて白い、たぶん外国船籍の客船が、ゆったりと入港してくる。その「白き巨船」が、まるで春の使者のようだと言っている。むろん、船と季節との直接的な因果関係は何もないのだけれど、このように詠まれてみると、なるほど「春も遠からず」と思えてくるから面白い。私は山育ちだから、船が入港してくる様子などは、ほとんど知らない。知らなくても、しかし掲句には説得される。何の違和感も覚えない。何故なのだろうか。たぶん、それは「白き巨船」の「白」という色彩のためだろうと思う。これが、たとえば「赤」だったり「黄」だったり、その他の色だったりすると、なかなか素直にはうなずけそうもない気がする。多くの色のなかで、白色が最も光りを感じさせる。すなわち「巨船」はこのときに、大きな光りのかたまりなのである。そしてまた、来る春も光りのかたまりなのだから、ここで両者の因果関係が成立するというわけだ。ま、この句を、こんなふうなへ理屈を言い立てて観賞するのはヤボというものだろう。が、読後、私のなかで起きた「光りのかたまり」の美しいイメージのハレーション効果を忘れないために、ここに置いておこうと思ったのでした。『海門』(1939)所収。(清水哲男)


February 0122003

 明日ありやあり外套のボロちぎる

                           秋元不死男

語は「外套(がいとう)」で冬。敗戦後二年目の句だ。詩歌に「明日」が頻繁に登場したのは、戦後十数年までだろう。壊滅したこの国の人々は、とにかく「今日」よりも「明日」に希望をつないで生きるしかなかった。あのころ、澎湃(ほうはい)として沸き起こった労働争議を支える歌にも、無数の「明日」が刻み込まれている。だから、一口に「明日」と言っても、その内実、込められた思いは千差万別だった。ある人の「明日」には明るさがあり、ある人のそれには暗さしかなかった。こんなにも「明日」という言葉に、多面的な意味や情感が託された時代は、他になかったのではなかろうか。「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」(寺山修司)。掲句の作者はボロ外套を着て、街頭を歩いている。失意落胆、暗澹たる思いを打ち消すことができない。本当に、明るい「明日」はくるのだろうか。わからない。来ないかもしれない。そんな忸怩たる思いのなかで、作者はこれではならじと気を取り直した。「明日」は必ず「ある」のだ。と、外套のボロを引きちぎった。自分で自分を激励したのである。ボロを引きちぎる指先の力の込めように、激励の度合いが照応している。三段に切れた珍しい句だが、ぶつぶつと切れているからこそ、作者の心情がよく伝わってくる。『万座』(1967)所収。(清水哲男)


January 3112003

 寝て起きて鰤売る声を淋しさの果

                           椎本才麿

語は「鰤(ぶり)」で冬。「およそ冬より春に至るまで、これを賞す。夏時たまたまこれあるといへども、用ふるに足らず」(『本朝食鑑』)。冬が、いちばん美味いのである。ことに、寒鰤が。作者は元禄期の江戸の人。「寝て起きて」は、一見子供の作文みたいな表現にも写るが、これがないと句が成立しない。波風のない平凡な暮しを言っているわけで、寝起きの「淋しさ」に何の理由もないことを強調する布石として置いてある。突然、いわれのない淋しさに落ち込んでしまった心に、表から「鰤売る声」が聞こえてきた。鰤は出世魚と言われるくらいだから、振り売り(行商人)の声も、さぞや威勢がよかっただろう。その威勢のよさに、なおさら淋しさが増幅されたというのである。「淋しさの果(はて)」という字余りが秀逸だ。寒々とした部屋にあって、理由の無い淋しさのどん底で、なすすべもなくおのれの感情を噛みしめている作者の姿が彷彿とする。程度の差はあれ、いくら時代が変わっても、こういうことは誰にでも起きるだろう。その曰く言い難い心持ちを、見事に具体的に言ってのけた秀句だ。書いているうちに、こちらもなんとなくいわれなき淋しさに誘われそうである。こういう淋しさは、とても伝染しやすいのかもしれない。(清水哲男)




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