January 282003
駅出口寒月喧嘩地区で消え長谷部さかなこの句を読んで、すぐに微笑を浮かべたあなたは、さすがです。言葉に、とても敏感な方です。会社帰りだろうか。駅の出口で空を仰ぐと、見事な寒月がかかっていた。歩きはじめて、もう一度みておこうと振り仰いだが、そこは通称「喧嘩地区」と言われる雑然とした飲み屋街。ガード下なのか、あるいは雑居ビルが立て込んでいるために、もう見えなかった。消えていた。ちょっと残念。よくあることですね。私は、新橋の烏森口あたりをイメージしました。ところで、この句ににやりとしなかった方は、もう一度、句をよくにらんでください。にらんでいるうちに、するするっと句がほどけてくるはずです。そうです。掲句はさかさまから読んでも、同じように読める仕掛けになっているのでした。いわゆる回文形式ですね。作者はよほどの凝り性らしく、この一句を含めて「いろは歌留多」を作ってしまいました。つまり、句の出だしの仮名を「い、ろ、は、……」と変えていき、最後の「京」まで全部で四十八句を、いずれも回文俳句に仕立て上げたというわけです。すべてが有季定型句ですから、ずいぶんと時間がかかったことでしょう。大変な人もいたものです。遊びといえば、遊び。でも、言葉を感情や感動から放つのではなく、がんじがらめの形式に合わせて紡ぎだすことで、きっと何かが見えてくるような気がします。試してみようかな。『俳句極意は?〜回文俳句いろは歌留多』(2003・北辰メディア)所収。(清水哲男) January 272003 冬薔薇に開かぬ力ありしなり青柳志解樹いまでこそ「冬薔薇(ふゆばら・ふゆそうび)」も一般的になったが、栽培の歴史を読むと、冬に薔薇を咲かせるのは大変だったらしい。気が遠くなるほどの品種改良が重ねられ、四季咲きが定着したのは戦後になってからだ。句の冬薔薇は栽培によるものか天然のものかはわからないが、いずれにしても、ついに咲かなかった薔薇である。それを作者は残念と言わずに、咲かなかったのは「薔薇に開かぬ力」があったからだと、肯定している。いわば薔薇の身になり代わって、咲かない理由を述べているのだ。花は咲くもの。なんとなく私たちはそう思っているが、そんな常識は非常識だと、作者は言おうとしているのだと思う。開く力があるのであれば、植物には本源的に「開かぬ力」というものもあるのだ。こんな寒空に、無理やりに咲かされてたまるものか。擬人化すれば、そんな意志が薔薇にはあり、かつては「ありしなり」と、昔は咲かぬのも常識のうちだった。それが、どうだろう。最近の冬薔薇はみな、ぽわぽわと能天気に咲いてしまう。しまりというものがない。あの凛とした「開かぬ力」は、どこへいったのか。だんだん句が、薔薇のことではなく、我ら人間のことを詠んだふうに見えてくるから面白い。余談になるが、中世ヨーロッパでは、枯れた薔薇は壺に入れて厳重に保管されたという。その壺を「薔薇の壺」と称したが、転化して「秘密の奥義」を意味するようになったというから、如何に薔薇が珍重されていたかがうかがわれる。L・ギヨーとP・ジバシエの書いた『花の歴史』(串田孫一訳・文庫クセジュ)のなかに、十五世紀のロンドの一節が紹介されている。「あなたの唇の閉じられた扉を/賢明に守ることを考えなさい。/バラの壺をみつける言葉を/外へ漏らさないように」。「開かぬ力」が、ここでも称揚されている。『松は松』(1992)所収。(清水哲男) January 262003 外はみぞれ、何を笑ふやレニン像太宰 治大
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