稀代の編集者・安原顕が永眠。20代「竹内書店」で働いていた頃の彼を思い出す。悼。




2003ソスN1ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2312003

 水仙を接写して口尖りゆく

                           今井 聖

語は「水仙(すいせん)」で冬。「雪中花(せつちゅうか)」とも。活けてある水仙を撮影しているのではなく、戸外での花を「接写」しようとしているのだろう。風があるので、なかなかシャッター・チャンスが訪れない。風が途絶える瞬間をねらっている。三脚を使わない手持ちのカメラだとしたら、手ぶれにも気を使う。息をとめるようにして構えていると、だんだん「口」が尖(とが)ってくる。ふとそのことに気づいて、苦笑している句だ。最近の植物園などに出かけると、花にカメラを構えている人の増えたこと。定年退職後と思われる年齢の人が、圧倒的に多い。昔は絵を描いている人のほうが多かったが、近頃では完全に逆転してしまった。で、見ていると、たいていの人が「接写」に夢中になっているようだ。みなさんが掲句そっくりに、それぞれ口を尖らせていると思うと可笑しくもなるが、そんなふうに夢中になれるところが接写の醍醐味なのだろう。ただ、いささか気になるのは、昨今の花の写真というと、接写による大写しの写真が氾濫していることだ。なんだか、花の種袋を見せられているような気がしてならない。一概によろしくないとは言わないけれど、もっと距離を置いて花を楽しむ姿勢があってもよいのではなかろうか。間もなく、梅の季節がやってくる。きっと、テレビでは初咲きの花を大写しにすることだろう。私は、梅や桜の一輪を解剖して見るよりは、むしろぼおっとした遠景として眺めるほうが好きである。「俳句研究」(2002年3月号)所載。(清水哲男)


January 2212003

 一人づつ減る夕寒を根木打

                           菅 裸馬

語は「根木打(ねっきうち)」で冬。「むさしのエフエム」のスタジオには、俳句歳時記が置いてある。音楽をかけている間に、時々パラパラとめくって、任意のページを読む。今日もそんなふうにして読んでいて、「あつ」と声をあげそうになった。子供のころによくやった遊びに、地面に五寸釘を立てて倒しあうものがあった。大人になってから時々思い出し、友人にそんな遊びがあったかと聞くと、みな知らないと言う。知らないということは、やっぱり山陰もごくごく田舎ローカルの遊びだったのかと、いつしか誰にも尋ねなくなっていた。それが、偶然に開いたページに麗々しく載っているではありませんか。ローカルなんてものじゃない。季語になっているくらいだもの、昔は全国的によく知られた遊びだったのだ。カッと頭に血がのぼるほどに嬉しかった。放送で話したわけではないけれど、長年の胸のつかえがおりて、以後はまことに上機嫌で仕事ができた。「根木打」とは、どんな遊びだったのか。スタジオで読んだ平井照敏の説明を丸写しにしておく。「先をとがらせた木の棒が根木で、長さは三十センチから六十センチほど。これをやわらかい土に打ち込み、次の者が自分の根木を打ち込みながら、前の者の根木に打ち当てて倒してそれを分捕るのである。竹の棒、五寸釘を使うこともある。(中略)稲刈りのあとの田んぼや雪上などでする」。地方によって呼び名はいろいろなようだが、私たちは五寸釘を使ったので、単純に「釘倒し」と呼んでいた。まことにシンプルな遊びなのだが、熱中しましたね。まさにこの句にあるように、夕暮れの寒さにかじかみながら、一人減り二人減るなかで、打ち合ったものでした。なにしろ五寸釘ゆえ、夕暮れに打ち合わせるとパッパッと火花が散った……、その泣きたいような美しさ。掲句のセンチメンタリズムはよくある類のレベルにしかないけれど、この際、そんなことはどうでもよろしいという心持ちになっています。体験者は、おられますでしょうか。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


January 2112003

 ざうざうと湯ざめしてをり路次咄

                           久米三汀

語は「湯ざめ」で冬。銭湯の帰りの「路次(ろじ)」で、近所の知りあいの人に出会っての立ち話だ。湯ざめを気にしながらも、「咄(はなし)」はなかなか終わらない。こういうことは、日常茶飯事だったろう。目を引くのは「ざうざうと」である。「ぞくぞくと」の音便化と読む人もいるようだが、違うと思う。「ぞくぞくと」であれば、身の内からだんだん寒さが込み上げてくる状態だ。対して「ざうざうと」は、身の内からも何もない。文句無しの冷たい外気に触れて、全身がどんどんと冷え込んできている状態を指すと読める。言い換えれば、「ぞくぞくと」は人の実感にとどまり、「ざうざうと」は人をも含めた界隈全体に押し寄せている寒気を感じさせる。そのとき、路次を吹き抜けていた風の音からの発想だろうか。なお、「三汀」は小説家・久米正雄の俳号である。中学時代から河東碧梧桐門で頭角をあらわし、俳壇の麒麟児とうたわれた。小説家としては、いまで言う中間小説に才能を発揮したが、もはや文庫本にも収録されていないのではあるまいか。私が読んだのは、受験浪人時代にたまたま手にした『受験生の手記』、たった一冊だ。秀才の弟に受験でも恋でも遅れをとり、自殺に追い込まれるという悲しい物語だった。だから、受験シーズンになると、ふっと久米正雄の名を思い出すことがある。『返り花』(1943)所収。(清水哲男)




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