最近、書店に行かなくなった。以前は日参していたのに。好奇心が薄れてきたのかな。




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January 2212003

 一人づつ減る夕寒を根木打

                           菅 裸馬

語は「根木打(ねっきうち)」で冬。「むさしのエフエム」のスタジオには、俳句歳時記が置いてある。音楽をかけている間に、時々パラパラとめくって、任意のページを読む。今日もそんなふうにして読んでいて、「あつ」と声をあげそうになった。子供のころによくやった遊びに、地面に五寸釘を立てて倒しあうものがあった。大人になってから時々思い出し、友人にそんな遊びがあったかと聞くと、みな知らないと言う。知らないということは、やっぱり山陰もごくごく田舎ローカルの遊びだったのかと、いつしか誰にも尋ねなくなっていた。それが、偶然に開いたページに麗々しく載っているではありませんか。ローカルなんてものじゃない。季語になっているくらいだもの、昔は全国的によく知られた遊びだったのだ。カッと頭に血がのぼるほどに嬉しかった。放送で話したわけではないけれど、長年の胸のつかえがおりて、以後はまことに上機嫌で仕事ができた。「根木打」とは、どんな遊びだったのか。スタジオで読んだ平井照敏の説明を丸写しにしておく。「先をとがらせた木の棒が根木で、長さは三十センチから六十センチほど。これをやわらかい土に打ち込み、次の者が自分の根木を打ち込みながら、前の者の根木に打ち当てて倒してそれを分捕るのである。竹の棒、五寸釘を使うこともある。(中略)稲刈りのあとの田んぼや雪上などでする」。地方によって呼び名はいろいろなようだが、私たちは五寸釘を使ったので、単純に「釘倒し」と呼んでいた。まことにシンプルな遊びなのだが、熱中しましたね。まさにこの句にあるように、夕暮れの寒さにかじかみながら、一人減り二人減るなかで、打ち合ったものでした。なにしろ五寸釘ゆえ、夕暮れに打ち合わせるとパッパッと火花が散った……、その泣きたいような美しさ。掲句のセンチメンタリズムはよくある類のレベルにしかないけれど、この際、そんなことはどうでもよろしいという心持ちになっています。体験者は、おられますでしょうか。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


January 2112003

 ざうざうと湯ざめしてをり路次咄

                           久米三汀

語は「湯ざめ」で冬。銭湯の帰りの「路次(ろじ)」で、近所の知りあいの人に出会っての立ち話だ。湯ざめを気にしながらも、「咄(はなし)」はなかなか終わらない。こういうことは、日常茶飯事だったろう。目を引くのは「ざうざうと」である。「ぞくぞくと」の音便化と読む人もいるようだが、違うと思う。「ぞくぞくと」であれば、身の内からだんだん寒さが込み上げてくる状態だ。対して「ざうざうと」は、身の内からも何もない。文句無しの冷たい外気に触れて、全身がどんどんと冷え込んできている状態を指すと読める。言い換えれば、「ぞくぞくと」は人の実感にとどまり、「ざうざうと」は人をも含めた界隈全体に押し寄せている寒気を感じさせる。そのとき、路次を吹き抜けていた風の音からの発想だろうか。なお、「三汀」は小説家・久米正雄の俳号である。中学時代から河東碧梧桐門で頭角をあらわし、俳壇の麒麟児とうたわれた。小説家としては、いまで言う中間小説に才能を発揮したが、もはや文庫本にも収録されていないのではあるまいか。私が読んだのは、受験浪人時代にたまたま手にした『受験生の手記』、たった一冊だ。秀才の弟に受験でも恋でも遅れをとり、自殺に追い込まれるという悲しい物語だった。だから、受験シーズンになると、ふっと久米正雄の名を思い出すことがある。『返り花』(1943)所収。(清水哲男)


January 2012003

 大寒の堆肥よく寝てゐることよ

                           松井松花

日は「大寒(だいかん)」。一年中で、最も寒い日と言われる。大寒の句でよく知られているのは、虚子の「大寒の埃の如く人死ぬる」や三鬼の「大寒や転びて諸手つく悲しさ」あたりだろう。いずれも厳しい寒さを、心の寒さに転化している。引き比べて、掲句は心の暖かさにつなげているところがユニークだ。「堆肥(たいひ)」は、わら、落葉、塵芥、草などを積み、自然発酵させて作る肥料のこと。寒さのなかで、じわりじわりとみずからの熱の力で発酵している様子は、まさに「よく寝ていることよ」の措辞がふさわしく、作者の微笑が伝わってくる。一部の歳時記には「大寒」の異称に「寒がはり」があげられているが、これは寒さの状態が変化するということで、すなわち暖かい春へ向けて季節が動きはじめる頃という意味だろう。実際、この頃から、梅や椿、沈丁花なども咲きはじめる。寒さに強い花から咲いていき、春がそれこそじわりじわりと近づいてくる。そういうことを思うと、大寒の季語に託して心の寒さが多く詠みこまれるようになったのは、近代以降のことなのかもしれない。昔の人は、大寒に、まず「春遠からじ」を感じたのではないだろうか。一茶の『七番日記』に「大寒の大々とした月よかな」がある。情景としては寒いのだが、「大々(だいだい)とした月」に、掲句の作者に共通する心の暖かさが現れている。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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