年末年始の看板狂詩曲も昨日でお終いにしました。実験におつきあいいただき感謝です。




2003ソスN1ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0412003

 兄弟の手のうち十六むさしかな

                           木口六兵衛

十六むさし
語は「十六(じゅうろく)むさし」で新年。といっても、もうこの正月遊びを知る人は少ないだろう。実は、私も知りませんでした(笑)。でも、たいていの現代歳時記には載っている関係上、以前から気になっていたので、調べてみたというわけです。大正期くらいまでは盛んに行われていたようで、いわゆるボードゲームの一つ。まず、四角形を縦横斜めに仕切ったところに接して、三角形の牛小屋を描く。敵味方に分かれ、中央に親を置き、周囲に十六の子を置く。親は二つの子の間に入るとこれを倒すことができ、子は間に入られないようにして、親を外側三角形の牛小屋に追いつめる。画像(「子供遊び画帖」より部分・明治21年)をご覧になれば、遊び方はなんとなくおわかりいただけるかと思います。掲句を採り上げたのは、しかし、この遊びが忘れられているからではない。「兄弟の手のうち」に、俳句を感じたからだ。実際、兄弟同士というのは、どこかで何となく「手のうち」が似ているものだ。私の末弟は中学生のころから街の将棋道場みたいな所に出入りしており、さすがに強かった。けれど、歯が立たなくなってからも、「手のうち」が似ているなとは、よく感じた。それも、攻勢に出るときよりは引き下るときのタイミングが、同一人物同士で指しているような感覚で伝わってくるのであった。「血は争えない」というが、作者もまた、他愛ない正月遊びに、遊びそのものの中身よりも、遊び以前の「血のつながり」の不思議を感じているのだ。いい句です。作者の名前から察するに、兄弟が多かったんだろう。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)


January 0312003

 勝独楽は派手なジャケツの子供かな

                           上野 泰

語は「独楽(こま)」で新年。凧(たこ)と並んで、正月の男の子の代表的な玩具だった。情景は喧嘩独楽で、同時に回して相手をはじき飛ばしたほうが勝ち。たまたま通りかかった作者が、勝負や如何にと眺めていると、勝ったのは「派手なジャケツの子供」だった。それだけの句であるが、ここには作者の「やっぱりね」という内心がのぞいている。むろん「派手なジャケツ」は親に着せてもらっているのだけれど、その子供がその場を仕切る、ないしは支配する雰囲気とよくマッチしていて、「やっぱりね」とつぶやくしかないのである。こういう子供はよくいるものだし、私が子供だったころにもいた。そして面白いのは、この子に支配された関係が、大人になってもつづいていくことだ。クラス会などで出会うと、職業も違い、住んでいる場所も離れていてすっかり忘れていたのに、会った途端から、すうっと昔の関係に戻ってしまう。思わずも、身構えたくなったりする。これは、どういうことなのか。作者はおそらく、そうした未来の関係をも見越した上で、詠んだのではないだろうか。「派手なジャケツの子供」は一生涯派手にふるまい、地味で負けてばかりいる子供は、一生ウダツが上がらない。と、ここまで言うと極端に過ぎようが、しかし、子供のころに自然にできあがった関係は、なかなか解消できるものではないだろう。自分の子供時代を振り返ってみると、いちばんよくわかるはずだ。『佐介』(1950)所収。(清水哲男)


January 0212003

 夢はじめ現はじめの鷹一つ

                           森 澄雄

語は「夢はじめ(初夢)」で新年。年のはじめに見る夢のことだが、正月二日の夜に見る夢とも、節分の夜に見る夢ともいう。現代では、今夜の夢を指すことが多いようだ。私も、子供の頃にそう教えられた。「一富士、二鷹、三茄子」と言い、古来これらが初夢に現れると、縁起がよいとされてきた。だから作者は良い夢を見たことになるのだけれど、しかし、あの「鷹」は夢のなかに飛んでいたのではなくて、もしかしたら「現(うつつ)」に見た実景かもしれないと思い返している。すなわち、作者は昨夜見たばかりの夢のことを詠んだのではなくて、もうずっと以前の正月の夢を回顧しているのだ。その意味では珍しい初夢句と言えるが、言われてみれば、初夢にかぎらず、こういうことはよく起きる。あれは「夢」だったのか、それとも「現」だったのか。今となってはどちらとも言い難い情景が、ぼんやりとではなく、はっきりと自分のなかに刻まれて、ある。心理学的には、おそらく説明はつくのだろうが……。いずれにしても、句の手柄はそうしたあやふやな認識を、あやふやにではなく、そのままにはっきりと打ちだしたところにあるだろう。この「鷹一つ」は、読者の目にも、はっきりと見える。『浮鴎』(1973)所収。(清水哲男)




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