下での予感どおりに(!!)東京は初雪となりました。最高気温の予想は5度。着膨れ開始。




2002ソスN12ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 09122002

 はつ雪の降出す此や昼時分

                           傘 下

のところ、東京地方もぐっと冷え込んできた。もしかすると、今日あたりには、白いものが舞い降りてくるかもしれない。降れば、初雪だ。そんなことを思って「初雪」の句をあちこち探していたら、柴田宵曲の『古句を観る』(岩波文庫)で掲句を見つけた。「此」は「ころ」と読む。句は面白くも何ともないけれど、しかし宵曲の解説に、ちょっと立ち止まってしまった。曰く「読んで字の如しである。何も解釈する必要はない。こんなことがどこが面白いかという人があれば、それは面白いということに捉われているのである。芭蕉の口真似をするわけではないが、『たゞ眼前なるは』とでもいうより仕方あるまい」。私は、このページを書いていることもあって、毎日、たくさんの句を読んでいる。なかに結構、掲句のような「面白くも何ともない句」がある。そういう句に出会うと、くだらないと思うよりも、何故この人はこういう面白くもないことを書くのだろうという不思議な気持ちになることのほうが多い。宵曲の言うように、たぶん私も「面白いということに捉われている」のだろう。が、逆に面白さに捉われないで書く、あるいは読むということは、どういうことなのか。「面白さに捉われない」心根は、ある種の境地ではあると思うが、その境地に達したとして、さて、何が私に起きるのであろうか。(清水哲男)


December 08122002

 旅にみる灯ぬくき冬よ戰あるな

                           飴山 實

後十年目に詠まれた句。旅の途次での夜景だ。車窓からの眺めかもしれない。見渡すと、あちこちに人家の「灯」が点々とともっている。外気はあくまでも冷たいが、それらの「灯」はとても「ぬく」く感じられる。この「ぬくき灯」の点在こそが、平和というものなのだ。二度と「戰」などあってはならない。と、理屈ではわかっても、この句を実感として受け止められる人は、もう国民の半分もいなくなってしまった。そう思うと、複雑な気持ちになる。戦時中の灯火管制と頻繁に起きた停電とで、往時は町中でも真っ暗だった。敗戦後に、人々がもっとも解放感を味わったことの一つは、まぎれもなく夜の「灯火」を自由に扱えるようになったことである。多くの人が、その喜びを話したり書いたりしている。掲句もまた、その喜びの余韻のなかで詠まれているわけで、だからこそ「戰あるな」が痛切な説得力を持つ。ここで思い出されるのは、かつての湾岸戦争で、イラクを一番手で空爆したアメリカ兵士のコメントだ。「バグダッドの街は、まるでクリスマス・ツリーのように輝いていた……」。そのときに、かりに彼にこの句が読めたとしても、真意はついに理解できないだろうなと思った。現代の戦争は「灯」を消そうが消すまいが関係はないのだけれど、そういうことではなくて、彼には「灯」から人間の生活を思い描く能力が欠如している。素直にキレいだと言っただけであって、正直は認めるが、この正直の浅さがとても気になった。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)


December 07122002

 母にのこる月日とならむ日記買ふ

                           古賀まり子

記帳を買うときには、誰でも来年に対する思いがちらと頭をかすめる。どんな年になるのだろう……。そんな思いがあるので、素直に「日記買ふ」が季語として受け入れられてきたのだろう。私が市販の日記帳を買っていたのは十代のときまでだったから、頭をよぎったのは進級だとか受験だとかと、学校にからんだことが多かったような記憶がある。まことに暢気にして、かつ世間が狭かった。掲句からは、作者の母親が重い病気であることが知れる。この新しい日記のページのどこかで、ついに不吉なことが起きるかもしれない。考えたくもないけれど、現実をうべなえば「母にのこる月日とならむ」とつぶやかざるを得ないのである。作者自身が若年のころから病弱で、母一人子一人の生活だったと、何かで読んだ記憶がある。たしか「死に急ぐな」と、母に叱咤された句もあったはずだ。それだけに、なおさら母親のことが我が身にのしかかってくる。年の瀬。はなやかな日記帳やカレンダーの売り場で、どれを買おうかと選っている人の姿をよく見かける。胸中には、どんな思いが秘められているのだろうか。このような句を知ってしまうと、ふっとそういう人たちの顔を見たくなったりする。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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