街のイルミネーションから赤い色が減った。流行なのか、それとも不景気の反映なのか。




2002ソスN12ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 02122002

 黄落や大工六人の宇宙

                           河原珠美

語は「黄落(こうらく)」で秋。しかし、ただいま現在、我が家に近くの銀杏の落葉しきりなり。たまに拾ってきて、本の栞に使う。さて、掲句は黄落のなか、家の新築が進んでいる様子を詠んでいる。よく晴れた日だ。高いところには大工が六人いて、黙々と仕事をしている。そして、彼らよりもさらに高いところから、金色の葉がはらはらと舞い落ちている。青空を背景に、真新しい木の枠組みと、そこで働く大工たちの姿は、なるほど一つの「宇宙」を形成している。何度か見かけたことのある情景で、たいていはすぐに忘れてしまうのだけれど、こうして「宇宙」と断言されることにより、いつかどこかで見た記憶が鮮かに蘇ってくる(ような気がする)。そのときには、決して「宇宙」と認識して見たわけではないのだが、潜在的にはぼんやりとでも「宇宙」ととらえていたのだろう。そして、この「宇宙」にリアリティを与えているのは「黄落」でもなければ「大工」でもない。「六人」である。実際に六人だったかどうかは、関係がない。仮に「七人」だとか「五人」だとかに入れ替えてみれば、実に六人が絶妙な数であることがわかる。「七人」では無理に「宇宙」をこしらえているようだし、「五人」では「ホントに五人だったのです」と力が入っている感じを受けてしまう。奇数と偶数のニュアンスの差だ。でも、これが「四人」や「二人」となると大工のいる高い位置と広いスペースが確保されないので、「宇宙」と呼ぶには狭すぎる。やはり「六人」しかないでしょうね。『どうぶつビスケット』(2002)所収。(清水哲男)


December 01122002

 十二月真向きの船の鋭さも

                           友岡子郷

日から「十二月」。そう思うだけで、いかに愚図な私でも、どこか身の引き締まるような感じを覚える。掲句は、そんな緊張感を具現化したものだ。港に停泊している「船」も、昨日までの姿とは違う。「真向(まむ)き」に、すなわち正対して見ると、船首の「鋭さ」がいっそう際立って見えてきた。この鋭さは、むろん作者の昨日とは異なる感性が生みだしたものだ。清潔な句景も、よく十二月の心情とマッチしている。ところで、この船は実際にはどんな形の船なのだろう。一口に船と言っても、多種多様だ。作者は実景を詠んでいるのだが、読者には具体的な形までは伝わらない。このことに触れて、作者は近著『友岡子郷・自解150選』で「言語表現の宿命的なあいまいさ」と書いている。「俳句をつくっていて、いつも苛立たしい苦労をするのは、自分には言葉しかないからである」とも……。たしかに、言葉は写真や絵画のようには物の形を伝えることができない。でも、だからこそ、言葉は面白いのではあるまいか。掲句にそくして言えば、船の形がビジュアルに限定されてしまうと、かえって伝えたい十二月の緊張感がそれこそ「あいまい」になってしまうのではないか。それぞれの読者が、それぞれの形を自由にイメージできるからこそ、句がはじめて生きてくるのである。と、生意気を書いておきます。『春隣』(1988)所収。(清水哲男)


November 30112002

 脚冷えて立ちて見ていし孤児の野球

                           鈴木六林男

の「野球」の句は珍しい。が、どんなに寒かろうと、子供らが元気に野球をやった時代が、敗戦後の一時期にはあった。あのころの野球熱が、その後のプロ野球を育てたのだ。王や長嶋のようなスターがいたから、プロが繁栄したのではない。順序はまったく逆であって、句のような子供たちがいたからこそ、彼らも存分に活躍できたのである。このときの作者は三十歳そこそこだ。バターン・コレヒドール要塞戦で、負傷帰還して間もなくの句である。自註に曰く。「大学の附属病院では病気の戦災孤児を収容した。孤児たちはボロ布を丸めたボールで野球をしていた。脚から冷えて長く観ておれなかった。場所は、西東三鬼が勤務したことのある関西医大附属香里病院。京阪鉄道の香里園にある」。野球ができるくらいだから、病気もかなりよくなった「孤児」たちなのだろう。そこで野球をやっていれば「どれどれ」と立ち止まったのも、あのころである。孤児と野球。直接アメリカ軍と戦った元兵士にしてみれば、この取り合わせに複雑な感慨を覚えないわけはあるまい。無差別爆撃で、非戦闘員の彼らを孤児にしたのはアメリカだ。戦後いちはやく占領政策的に野球を復活させたのも、他ならぬアメリカという国である。眼前の孤児たちは、しかし無心に野球に興じている。「脚冷えて」きたのは単に寒気のせいだが、どこかそれだけのせいでもないような余韻の漂う句。国敗れて野球あり。などと、自嘲すらできない哀しい句。『谷間の旗』(1955)。(清水哲男)




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