午前中はラジオの特番の仕事。夜は初忘年会。さて、この間をどうやって埋めようか。




2002ソスN11ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 30112002

 脚冷えて立ちて見ていし孤児の野球

                           鈴木六林男

の「野球」の句は珍しい。が、どんなに寒かろうと、子供らが元気に野球をやった時代が、敗戦後の一時期にはあった。あのころの野球熱が、その後のプロ野球を育てたのだ。王や長嶋のようなスターがいたから、プロが繁栄したのではない。順序はまったく逆であって、句のような子供たちがいたからこそ、彼らも存分に活躍できたのである。このときの作者は三十歳そこそこだ。バターン・コレヒドール要塞戦で、負傷帰還して間もなくの句である。自註に曰く。「大学の附属病院では病気の戦災孤児を収容した。孤児たちはボロ布を丸めたボールで野球をしていた。脚から冷えて長く観ておれなかった。場所は、西東三鬼が勤務したことのある関西医大附属香里病院。京阪鉄道の香里園にある」。野球ができるくらいだから、病気もかなりよくなった「孤児」たちなのだろう。そこで野球をやっていれば「どれどれ」と立ち止まったのも、あのころである。孤児と野球。直接アメリカ軍と戦った元兵士にしてみれば、この取り合わせに複雑な感慨を覚えないわけはあるまい。無差別爆撃で、非戦闘員の彼らを孤児にしたのはアメリカだ。戦後いちはやく占領政策的に野球を復活させたのも、他ならぬアメリカという国である。眼前の孤児たちは、しかし無心に野球に興じている。「脚冷えて」きたのは単に寒気のせいだが、どこかそれだけのせいでもないような余韻の漂う句。国敗れて野球あり。などと、自嘲すらできない哀しい句。『谷間の旗』(1955)。(清水哲男)


November 29112002

 原点に戻らぬ企業返り花

                           的野 雄

語は「返り花(帰り花)」で冬。小春日和の暖かい日がつづくうちに、どういう加減からか季節外れの桜や桃の花が咲くことがある。新聞の地方版に、写真入りで載ったりする。そんな花を見かけて、すぐさま「企業」のありように思いが飛んだところが哀しい。会社が倒産かそれに近い状態に陥り、三度も痛い目にあった私には、あながち突飛な連想とも思えない。しごく真っ当な飛躍と写る。もっとも、ここで作者は自分の属している企業のことを言っているのか、それとも企業一般のことを指しているのかはわからない。が、どちらでもよいだろう。企業は生き物だから、それ自体で刻々と変化していく。「原点」の構築に携わったのはまぎれもない人間だけれど、そうした人間の初発の精神とは関わりなく、法人格としての企業は人間を置き去りにしてまでも、みずからの延命に執心する。もっと言えば、企業は資本の論理以外の何ものも栄養にすることはできないので、そうならざるを得ない。いつまでも原点などにこだわっていては、身が持たないのである。そうした企業のたまさかの繁栄を、人間である作者は狂い咲きの花のようだと言っている。さらには、どんな人間の力をもってしても「原点に戻らぬ企業」の強圧に、なお唯々諾々と従っているおのれを哀しみ、自嘲してもいる。しかし、この不況の世の中。束の間であれ「返り花」が見られる企業は、まだよしとしなければ……。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)


November 28112002

 易水に根深流るる寒さ哉

                           与謝蕪村

くなった友人の飯田貴司が、酔っぱらうとよく口にしたのが「風蕭蕭(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し、壮士一たび去ってまた還らず」という詩句だった。忘年会の予定を手帖に書き込んでいて、ふっと思い出した。「易水」は、中国河北省西部の川の名前だ。燕(えん)のために秦の始皇帝を刺そうとした壮士・荊軻(けいか)が、ここで燕の太子丹と別れ、この詩を詠んだという。このことを知らないと、掲句の解釈はできない。蕪村の句には、こうした中国古典からの引用が頻出するので厄介だ。さて、飯田君は後段の壮士の決然たる態度に惚れていたのだろうが、蕪村は前段の寒々とした光景に注目している。同じ詩句に接しても、感応するところは人さまざまだ。当たり前のようでいて、このことはなかなかに興味深い。作者の荊軻にしてみれば、むろん飯田君的に格好良く読んでほしかった。だが、蕪村は後段のいわば「大言壮語」を気に入ってはいなかったようである。だから、庶民の生活臭ふんぷんたる「根深(ねぶか)」を、わざと流している。壮士に葱は似合わない。せっかく見栄を切っているのに、舞台に葱が流れてきたのではサマにならない。この句については、古来その「白く寒々とした感じ(萩原朔太郎)」のみが高く評価されてきたが、そうだろうか。それだけのことなのだろうか。むしろ荊軻の生き方批判に力点の置かれた句ではないのかと、これまたふっと思ったことである。(清水哲男)




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