昨日は「勤労」せずに遊んでいたので、本日は原稿書き。それにしても遅筆になった…。




2002ソスN11ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 24112002

 つはぶきや二階の窓に鉄格子

                           森 慎一

キップ
語は「つはぶき(石蕗の花)」で冬。学名を「Farfugium japonicum」と言うそうだから、原日本的な植物なのかもしれない。しかし、いつ見ても寂しい花だと思う。蕗の葉に似た暗緑色と花の黄色との取り合わせが、いかにも陰気なのである。一茶が「ちまちまとした海もちぬ石蕗の花」と詠んでいるように、元来が海辺の野草だ。昨冬、静岡の海岸で見かけたけれど、寒い海辺に点々と黄が散らばっている様子は、なんとも侘しい風情であった。そんな暗い感じの石蕗を庭に植えるようになったのは、花の少ない冬季に咲く花だからだろう。よく、旅館の庭の片隅などで咲いている。これは四季を通じて花を絶やさぬサービス精神の発露とはわかるが、だが、何でも咲いていればよいというものでもあるまい。仕事での一人旅だったりすると、かえって気が滅入ってしまう。掲句は、そんな「つはぶき」の舞台にぴったりの情景を伝えている。「二階の窓に鉄格子」とはただならないが、かつての座敷牢の名残りでもあろうか。だとすれば、この家にはどんな暗い歴史があったのだろう。などと、通りすがりの作者は空想している。それもこれも、陰気な「つはぶき」が空想させているのである。写真は青木繁伸氏のHP「Botanical Garden」より縮小して借用した。この花の雰囲気が、よく出ている。『風丁記』(2002)所収。(清水哲男)


November 23112002

 雪吊を見おろし山の木が立てり

                           大串 章

語は「雪吊(ゆきつり)」で冬。やがて来る雪の重みで、庭木の枝が折れないようにする冬支度の一つ。金沢兼六園の雪吊は、冬の風物詩としても有名だ。そんな雪吊の様子を、周辺の「山の木」が「見おろし」ている。山の木に心があれば、過保護に甘んじている庭の木を冷笑するであろうか。……などと、つい思ったりするのが人間の哀れなところで、何でもかでも人間世界に移し替えて読んでしまうのは悪い癖だ。作者は、確かに「見おろし」と山の木を擬人化してはいる。が、これを「見くだし」などと読まれないように、意図的にそっけなく「立てり」と押さえて、ただ邪心なく淡々と立っている姿を強調している。「立てり」に違う言葉を配すると、にわかに句が生臭くなる。さて、この句の最も魅力的なところは、雪吊一事をレポートするに際しての視野の案配である。目の前の事象を等身大に見据えつつ、すっとカメラを引いたような視野の広げ方が面白い。あくまでも、雪吊は作者の目の前にある。もしかすると、山はよく見えていないのかもしれない。その眼前の光景を、あっという間に点景に変化させてしまっている。カメラでこの広い視野を得るには、ちょっとしたテクニックが必要だ。が、人間にはそれがいらない。苦もなく、頭の中で調節が可能である。地味な句柄に見えるが、なかなかどうして、仕掛けはむしろ華麗と言うべきではなかろうか。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


November 22112002

 草々の呼びかはしつつ枯れてゆく

                           相生垣瓜人

なことを言うようだが、私はこの句に暖かいものを感じる。光景は、一見うら寂しい雰囲気のなかにあるけれど、お互いに声をかけあいながら「枯れて(滅びて)ゆく」ことなどは、私たち人間には決して起きないからだ。人間はてんでんバラバラに枯れてゆき、冬の「草々」は共に枯れてゆく。どちらが寂しいか……。作者は「呼びかはしつつ枯れてゆく」草々に、むしろ羨望の念すら覚えているのだと思う。これらの草々には、人間とは違って、それぞれの名前もなければ個性なんてものもない。すなわち、類としての存在として掴まれている。ここがポイントだ。もとより人間だとて類としての存在からは逃れようもないわけだが、名前があったり個性があると信じていたりするので、理屈上はともかく、すっかり類のことは忘れて生きている。「個」を見て「類」を見ず。だから、まごうかたなき人類の一員でありながら、自分の類に観念的にしか反応することができない。そこへいくと、草々は違う。句のように擬人化してみると、よくわかる。彼らは「共生」を観念としてではなく、実質実態として遂げているのだ。いつだって「呼びかはしつつ」生きて滅んでゆく。たとえおのれは枯れてしまっても、来春の新しい芽吹きが待っている。その希望を楽しめる。人間だって、類としては新しい芽吹きは常にあるくせに、それを楽しめない。自分一代で、何もかも終わりさ。「死んで花実が咲くものか」などと、それこそ変なことを言ったりする。まことに厄介だ。「冬枯」に分類。『微茫集』所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます