カラカラに乾燥している東京。ドアのノブに触るのが恐くなる。静電気飛ばしが特技。




2002ソスN11ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 20112002

 手袋にキップの硬さ初恋です

                           藤本とみ子

キップ
在のやわらかいキップ「軟券」に対して、昔の硬いキップは「硬券」という。改札で、パチンと鋏を入れてもらったアレだ(写真参照)。「手袋」をしていても、確かにキップの硬さが掌に感じられた。それを「初恋です」と言っているわけだが、現在進行形の初恋ではなくて、昔のことを思い出している。しかし「初恋でした」と言わないのは、作者が当時の少女の気持ちにすっかり戻っているからなのだ。そして、このキップの硬さには、二つのニュアンスが重ねられているのだと思う。一つは、初恋を覚えたころの時代背景を硬券に代表させ、もう一つは、手袋を通した硬い感触の心もとなさを表現している。きっと、毛糸の赤い手袋だろうな。具体的なシチュエーションはわからないけれど、電車の中で硬いキップを握りしめ、ずうっとその人のことを想っている少女の純情は伝わってくる。想っただけで緊張する思春期特有の心身のありようも、また手袋を通したキップの硬さに通じているようだ。いまのように、高校生が町中を堂々とペアで歩けるような時代ではなかった。でも、そんなころの初恋のほうが、いつまでも甘酸っぱい思い出として新鮮に蘇りつづけるのではなかろうか。これぞ、まさに「初恋です」。いい句です。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


November 19112002

 折詰に鯛の尾が出て隙間風

                           波多野爽波

語は「隙間風」で冬。「鯛の尾が出て」いる「折詰(おりづめ)」が配られているのだから、何か祝いの席なのだろう。大広間だ。いまのように暖房装置が発達していなかったころの日本間は、本当に寒かった。坐る場所によっては、小さな隙間から容赦なく風が入り込んでくるので辛かった。なにしろ「寸分の隙間うかがふ隙間風」(杉田久女)というくらいなものである。たとえすぐ傍らに火鉢が置いてあっても、何の役にも立ちはしない。運悪く、作者はそんな席に着いている。寒くてかなわん、早く終わってくれ。そんなときに限って、祝辞やら挨拶やらがいつ果てるともなくつづいていく。目の前の仕出し弁当も、どんどん冷たくなっていくようだ。やがてこの冷えきった折詰を開いてつつくのかと思うと、いよいよ寒さが募ってくる。出されたお茶などは、とっくのとうに冷えきっている。ときどき非難するような目で、隙間風の入ってくる方を見やったりする作者の姿までもが浮かんできて滑稽だが、当事者にしてみれば切実な問題なのだ。折詰の隙間からは、鯛の尾。部屋の隙間からは、冷たい風。この対比が、なおさらに滑稽感を誘ってくる。このように、気の毒だけれど滑稽に思えることは、他にもよくあることだ。それを短い言葉で的確に表現できる様式は、俳句をおいて他にはないだろう。『花神コレクション・波多野爽波』(1992)所収。(清水哲男)


November 18112002

 さやうなら笑窪荻窪とろゝそば

                           摂津幸彦

語は「とろゝ(とろろ)」で秋だが、冬にも通用するだろう。物の本によれば、正月に食べる風習のある土地もあるそうだから、「新年」にも。ま、しかし、作者はさして季節を気にしている様子はない。「荻窪(おぎくぼ)」は東京の地名。「さやうなら」と別れの句ではあるけれど、明るい句だ。「さやうなら」と「とろゝそば」の間の中七によっては、陰々滅々たる雰囲気になるところを、さらりと「笑窪(えくぼ)荻窪」なる言葉遊びを配しているからである。つまり作者は、さらりとした別れの情感を詠みたかったということだ。たとえば、学生がアパートを引き払うときのような心持ちを……。このときに「笑窪荻窪」の中七は言葉遊びにしても、単なる思いつき以上のリアリティがある。ここが摂津流、余人にはなかなか真似のできないところだ。笑窪は誰かのそれということではなくて、作者の知る荻窪の人たちみんなの優しい表情を象徴した言葉だろう。行きつけの蕎麦屋で最後の「とろゝそば」を食べながら、むろん一抹の寂しさを覚えながらも、胸中で「さやうなら」と呟く作者の姿がほほえましい。元スパイダーズの井上順が歌った「お世話になりました」の世界に共通する暖かさが、掲句にはある。蕎麦屋のおじさんも「じゃあ、がんばってな」と、きっとさらりと明るい声をかけたにちがいない。いいな、さらりとした「さやうなら」は。『陸々集』(1992)所収。(清水哲男)




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