乾燥注意報が出っぱなし。一雨ほしいところだが、一雨ごとに寒くなるのも辛いところ。




2002ソスN11ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 07112002

 初冬のけはひにあそぶ竹と月

                           原 裕

冬。冬来たる。暦の上のことだけではなくて、今年は体感的にも納得できる。部屋に暖房を入れてから立冬を迎えるなど、何年ぶりだろうか。メモを見てみたら、昨年は11月19日に初暖房とあった。さて、これから本格的な冬に向かって、我ら人間族は日々かじかんでいくことになる。多くの動植物も、そうだ。そんななかで、むしろ寒ければ寒いほど元気な姿になるものといえば、たとえば掲句に詠まれた「竹と月」だろう。冬の月は皓々と冴えわたり、竹の緑はいっそう色鮮やかとなる。「初冬(はつふゆ)のけはひ(気配)」に「あそぶ」と見えて、当然なのだ。一見地味な句と写るけれど、これぞ自然をよく見つめた花鳥諷詠句のお手本、THE HAIKUだと思う。かじかむ自分の気持ちや様子をもって季節の移り行きをつかまえるのではなく、大きな自然を自然のままに語らせることにより、それを表現している。もとより「あそぶ」の措辞は作者の主観に属するが、これはそうした自然とともに「私があそぶ」の意が強いのであり、ことさらに月と竹を擬人化しているわけではない。白状すれば、私にはまったくと言ってよいほどに、掲句のような自然に対する感覚というのかセンスが欠けている。どこを叩いても、こうした発想を得ることができない。だから余計にTHE HAIKUだなあと、感心することしきりなのである。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


November 06112002

 紅葉づれる木にターザンの忘れ綱

                           服部たか子

ターザン
しいな、ターザン。イギリス貴族の末裔にして、ジャングルの王者。五十代半ば以上の世代で、この有名人を知らない人はいないだろう。「アーアーアー」と雄叫びを上げながらジャングルを駆け回り、蔓を使って枝から枝へと飛び移り、人食いワニのいる河などものともせずに泳ぎきる。これぞ正義の味方、世界最強の男。五輪の水泳選手だったワイズミュラー主演の映画は十二本制作されているが、ほとんどが日本でも公開されたのではなかろうか。私は学校の巡回映画で、そのうちの何本かしか見ていない。遊び道具など何もなかったころ、男の子はすぐに影響されて「ターザンごっこ」に突っ走った。なにしろシチュエーションとして、周囲に人工的なものがなければないほどよいのだから、山の子には好都合だったということもある。いくらでも、ジャングルに見立てられる場所があった。いちばん熱心にやったのが、木の枝に蔓ならぬ縄をくくりつけてぶら下がり、枝から枝へ飛ぶのはさすがに恐かったので、思いきり弾みをつけて遠くまで飛ぶ遊び。このときに、柿の枝が折れやすいことを実感として知った。掲句の作者は「紅葉(もみ)づれる」(紅葉しつつある)木の枝に、子供らのターザンごっこの痕跡を認めて微笑している。「紅葉づれる」という古語と「ターザン」の今風語との取り合わせが面白い。作句意図とは別に、俳句はよくこのように時代の流行り物や風俗習慣などを後世に残す装置でもある。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


November 05112002

 秋の淡海かすみて誰にもたよりせず

                           森 澄雄

天気。「淡海(おうみ)」は「近江」であり、淡水湖を意味するから、作者は琵琶湖畔にいる。秋の好天は、透明な冷気を伴って清々しい。大気も澄み渡っていて、はるか彼方までクリアーに遠望できる。しかし、琵琶湖のような大きな湖ともなると、立ち上る水蒸気が多量のために、かえって遠目が利かなくなるときがある。まるで春の霞がかかったように、ぼおっとかすんでしまう。そんな情景だろう。作者の立つ岸辺は秋たけなわでありながら、指呼の間には爛漫の春があるように感じられる……。陶然たる気分になるというよりも、何か異界に遊んでいるような不思議な心持ちなのだ。「誰にもたよりせず」で、作者がこの地に長く逗留していることが知れる。少なくとも、二泊三日程度の短い旅ではないだろう。元来ならば友人知己のだれかれに、旅情を伝える「たより」をするところだけれど、ついに「誰にも」していない。あまりの淡海の自然の素晴らしさに心を奪われて、なんだか人間界とはひとりでに切れてしまったような気持ちである。寂しくもなければ、孤独とも感じない。大いなる自然のなかに溶け込んでいる至福とは、このような境地を指すのではなかろうか。私には漂泊への憧憬はないのだけれど、掲句には漂泊への誘いが含まれているようにも思われた。『浮鴎』(1973)所収。(清水哲男)




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