ゆっくりさせてあげたいと言いつつ何とかまびすしいことか。他にすることはないのか。




2002ソスN10ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 19102002

 秋の虹消えてしまえばめし屋の前

                           松本秋歩

の虹は色も淡く、はかなく消えてしまう。寂寥感に誘われる。「めし屋」は洒落たレストランなどではなくて、ただ「めし」を食いに行くためだけの店だ。定食屋の類である。間借りをしていると、大家さんの台所は使わせてもらえないので、三食とも外食ということになる。昔は学生はもとより、働いている人にも間借り人が多かった。コンビニ一つあるわけじゃなし、食えるときに食っておかないと、夜は空きっ腹を抱えて寝なければならない。作者もまた、食えるときに食っておこうと表に出てみると、思いがけなくも虹がかかっていた。ちょっと得したような気分になったが、しかし見ている間に消えてゆき、いつものめし屋の前にいた。しばしの幻にうっとりとしかけた心が、すっとがさつな現実に舞い戻った瞬間をとらえている。汚れた暖簾をくぐれば、変哲もない秋刀魚定食や鯖の味噌煮定食が待っている。「めし屋」といえば、私が学生時代によく通ったのは、京都烏丸車庫の前にあった「烏丸食堂」だった。下宿から五分ほど。十人も入れば満杯の小さな店で、安かった。だが、金欠になってくると安い定食も食えなくなる。そんなときは、仲よくなった店のおねえさんに小声で頼んで、丼一杯の飯だけにしてもらう。そいつに、タダの塩を振りかけて食っていると、おねえさんがそっと「おしんこ」をつけてくれたりして、なんだか人情映画の登場人物みたいになったときもあったっけ。おねえさん、元気にしてるかなあ。そんなことも思い出された掲句でありました。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


October 18102002

 雁わたし猫はなま傷舐めてゐる

                           渡部州麻子

語は「雁わたし」で秋。「青北風(あおきた)」とも呼ばれ、ちょうど雁がわたってくるころに吹くので、雁わたし(雁渡し)と言う。手元の歳時記を見ると、陰暦八月ごろに吹く北風のこととある。いまは、陰暦の九月だ。仕事で天気の様子と毎日つきあっているからわかるのだが、東京あたりでは例年、陽暦十月の今頃になると、北風の吹く日が多くなってくる。これがおそらく「雁わたし」だろうと、私は勝手に決めつけています。こいつが吹き始めると、朝夕はめっきり冷え込んでくる。日中いかに良く晴れて暖かくても、吹く風にどこか冬の気配が入り交じってくる。そんなある日に、猫が「なま傷」を舐めているという情景。喧嘩でもしてきたのだろう。自分の傷を自分で癒しているわけだが、健気でもあり寂しくも写る情景だ。寒い季節がやってくると、とくに猫は不活発になる。そう思えば、この負け戦でこの猫の活発な時期も終わりになるのかもしれない。そしてこのことは、「猫が」ではなく「猫は」の「は」によって、他の生きとし生けるものすべてに通じていく。いまのうちに「なま傷」は舐めておかなければ、みずからの力で癒しておかなければ……。来たるべき冬に対する、いわば本能的な身繕い、身構えの姿勢の芽生えを、さりげなく演出してみせた佳句である。今年度俳句研究賞候補作品「耳ふたつ」五十句の内。「俳句研究」(2002年11月号)所載。(清水哲男)


October 17102002

 百日紅より手を出す一人百人町

                           小川双々子

語は「百日紅(さるすべり)」で夏だが、名の通りに花期が長く、我が家の近くではまだ咲き残っている。「百人町」といえば東京の新宿区百人町が知られるが、句のそれは、作者が愛知県の人なので、名古屋市東区にある百人町だろう。建中寺の東に接して東西に細長く伸びた町で、その昔、百人組と呼ばれた身分の低い武士が住んでいた。道路は細く迷路のように入り組んでおり、これはむろん矢弾の進入を防ぐためにデザインされたからだ。いまでも、そこここに名残が見られるという。そんな町は、歩いているだけで不思議な感じになるものだ。町の歴史を反芻するようにして、一つ一つの不思議に合点がいったりいかなかったり……。それが、とある庭のとある百日紅の間から、いきなりにゅっと人の手が出てきたとなれば、不思議さにとらわれていただけに、ぎょっとした。手を出した人には何か理由があったからだが、出されたほうにしてみれば、理由などわからないからびっくりしてしまう。ここで「百日紅」と「百人町」の「百」と、それに挟まれた「一人」の「一」との対比が効いてくる。「百」は全であり「一」は個だ。つまり全にとらわれている気持ちに、個は入っていない。町全体の不思議にいわば酔っているときに、急に全からは想像もつかない個のふるまいが示されたのだからびっくりして、個であるその人を逆に強く意識することになったのだ。上手に解釈ができなくてもどかしいけれど、百人町が百日紅と言葉遊び的に配置されたのではなく、この町ならではの句であることを言っておきたかった。俳誌「地表」(2002・第417号)所載。(清水哲男)




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