不思議なことにノーベル賞には数学賞がない。理由があるそうだが、忘れちゃいました。




2002ソスN10ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 10102002

 こぼさじと葉先と露と息合はす

                           粟津松彩子

者、八十三歳の句。どうにも解釈がつかなかったので、しばらく放っておいた。というのも「こぼさじと」の主格が「葉先」だけであれば問題はないのだが、明らかに「露」の主格でもあるからだ。はじめは、こう考えた。こぼすまいとする葉先と、こぼされまいとする露。必死の両者が息を詰めるようにして「息」を合わせているうちに、葉先と露とがお互いに溶けあい浸透して合体したかのような状態になった。つまり、完璧に息が合ったとき、もはや葉先は露なのであり、露も葉先なのであるという具合に……。これでよいのかもしれないけれど、なんとなく引っ掛かっていて、何日か折に触れては考えているうちに、閃いたような気がした。ああ、そういうことだったのか。すなわち「こぼさじと」の主格は葉先と露両者であるのは動かないのだが、だとすれば「こぼさじ」の目的語は何だろう。閃いたというのは、この句には目的語が置かれていないのではないかということだった。葉先と露との関係から、ついついこぼれるのは露だと決めつけたのがいけなかった。そうではなくて、葉先と露の両者が「こぼすまじ」としているのは、句には書かれていないものではないのか。たとえば、目には見えない高貴なもの、神々しいもの……。そう解釈すれば、句はすとんと腑に落ちる。で、ようやくここに紹介することができたという次第だ。理屈っぽくなりました。ごめんなさい。『あめつち』(2002)所収。(清水哲男)


October 09102002

 鳥渡るこきこきこきと罐切れば

                           秋元不死男

わゆる「新興俳句事件」に連座して、作者は戦争中に二年ほど拘留されていた。その体験に取材した句も多いが、掲句は自由の身になった戦後の位置から、拘留のことを思いつつ作句されている。拘留時の作者は、おそらく自由に空を飛ぶ鳥たちに、羨望の念を禁じえなかっただろう。鳥たちは、あんなに自由なのに……。古来、捕らわれ人の書いたものには、そうした思いが散見される。だが、ようやく自由の身を得た作者には、必ずしも「渡り鳥」の自由が待っていたわけではない。冷たい世間の目もあっただろうし、なによりも猛烈な食料難が待っていた。あの頃を知る人ならば、作者が切っている缶詰が、どんなに貴重品だったかはおわかりだろう。その貴重品を食べることにして、ていねいに「こきこきこき」と切る気持ちには、複雑なものがある。「こきこきこき」の音が、名状しがたい気持ちをあらわしていて、切なくも悲しい。身の自由が、すべて楽しさにつながるわけじゃない。こきこきこき、そして、きこきこきこ、……。この「罐」を切る音が、いつまでも心の耳に響いて離れない。『合本俳句歳時記・新版』(1988・角川書店)所載。(清水哲男)


October 08102002

 石榴淡紅雨の日には雨の詩を

                           友岡子郷

語は「石榴(ざくろ)」で秋。「淡紅(たんこう)」は、句の中身から推して、晴れていれば鮮紅色に見える石榴の種が、雨模様にけぶって淡い紅に見えているということだろう。句の生まれた背景については、作者自身の弁がある。「今にも降り出しそうな空模様だった。吟行へ連れ立ったグループのひとりが、それを嘆いた。私は励ますつもりでこう言った。『いいじゃないの、雨の日には雨の句をつくればいい』と」(友岡子郷『自解150句選』2002)。俳句の人は、吟行ということをする。俳句をつくる目的で、いろいろなところを訪ね歩く。私のように詩を書いている人間は、そうした目的意識をもってどこかを訪れることはしないので、俳人の吟行はまことに不思議な行為に写る。だから、こういう句に出会うと、一種のショックを受けてしまう。俳人も詩人も同じ表現者とはいっても、表現に至る道筋がずいぶんと違うことがわかるからだ。天気のことも含めて、俳人は事実にそくすることを大切にする。ひるがえって詩人は、晴れた日にも、平気で「雨の詩」を書く。だからといって、なべて詩人は嘘つきであり、俳人は正直者だとは言えないところが面白い。その意味で、掲句は私にいろいろなことを思わせてくれ、刺激的だった。日常会話的に読めば凡庸にも思えるかもしれないが、俳句が俳句であるとはどういうことかという観点から読むと、私には興味の尽きない句である。吟行論を書いてみたくなった。『翌(あくるひ)』(1996)所収。(清水哲男)




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