遅くなりましたが、巨人優勝おめでとう。強いかどうかは西武の篩にかけてみなければ。




2002ソスN9ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2692002

 猿の手の秋風つかむ峠かな

                           吉田汀史

ながら、よく描かれた墨絵を思わせる品格ある句だ。この「秋風」は、肌に沁み入るほどに冷たい。群れを離れた一匹の「猿」が、「峠(とうげ)」で懸命に掴もうとしているのは何だろうか。かっと目を見開いて身構える孤猿の「手」を、作者は凝視しないわけにはいかなかった。掴みたいものが何であれ、しかし何も掴めずに、風を、すなわち空(くう)を何度も掴んでいる姿には、孤独ゆえに立ち上がってきた狂気すら感じられる。そんな猿のいる峠は、したがって、容易に人間の立ち入れるような世界ではないと写る。異界である。ところで、作者自註によれば、実はこの猿は檻の中にいた。「剣山の見える峠のめし屋。錆びた鉄格子を狂ったように揺する一匹の老猿」。掴んでいるのは実体のある鉄格子だったわけだが、その鉄格子を風のように空しいものと捉えることで、作者は猿を檻の外の峠に出してやっている。出してやったところで、もはや老猿の孤独が癒されることは、死ぬまでないだろう。だが、出してやった。いや、出してみた。単純に、自然に返してやろうというような心根からではない。檻の中の一匹の猿の孤独が、実は峠全体に及んでいることを書きたいがためであった。『浄瑠璃』(1988)所収。(清水哲男)


September 2592002

 榎の実散る此頃うとし隣の子

                           正岡子規

語は「榎の実(えのみ)」で秋。『和漢三才図会』に「大きさ、豆のごとし。生なるは青く、熟するは褐色、味甘にして、小児これを食ふ。早晩の二種あり。……」とある。榎(えのき)は高さ二十メートルにも達する大木だから、熟して落ちてくるまでは食べられない。落ちてくると、いつも拾いに来る「隣の子」が、このごろはさっぱりご無沙汰だ。どうしたのだろうか。母と妹との三人暮らし。来客のない日には、よほど寂しかったと思われる。子供でもいいから来てくれないものかと、願っている感じがよく出ている。子供は移り気だ。昨日まで何かに夢中でも、今日新しいことに興味がわくと、昨日までの関心事はすっぱりと放り投げてしまう。そのことは子規ももちろん承知しているから、もう来ないだろうと半分以上はあきらめているのだ。だから、いっそう寂寥感が増す。ところで、実は子規庵には榎の木はなく、食べられる実のなる似たような木としては椎の木があった。事実「椎の実を拾ひにくるや隣の子」と詠んでいる。では、なぜわざわざ「榎の実」としたのだろうか。最近出た中村草田男『子規、虚子、松山』(2002・みすず書房)によれば、「此句では、其椎の木を、松山地方には沢山ある榎の木にちょっと入れかえてみたのでしょう」とある。すなわち、望郷の念も込められている句なのであった。病者の寂しさは、どんどんふくらんでいく。『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)


September 2492002

 不思議なるものに持病やとろろ汁

                           五味 靖

語は「とろろ汁」で秋。麦飯にかけたものが「麥とろ」。するするっと喉を越す味わいは何とも言えないが、逆に言えば、甘いとか辛いとか酸っぱいとかという、はっきりした味のない食べ物だ。一度も食べたことがない人に、口で説明するのは非常に困難な「不思議」な味である。そのとろろ汁を啜りながら、ふと作者は「持病」のことに思いがいたった。年齢を重ねれば、たとえ軽度であれ、たいていの人は一つか二つの持病を抱えこむ。いつもの兆候、いつもの発作。もはや慣れっこになっていて、ほとんど無意識のうちに対応できるので、日ごろあらためて意識することは少ない。が、作者のようにあらためて意識してみると、なるほど「不思議」といえば「不思議」な病気だ。周囲の人は免れているのに、なぜ自分にだけ取りついたのだろうか。掲句に触れたときに、長年の持病に悩む友人が、あるとき呟くように漏らした言葉を思い出した。「持病ってやつは、カラダから離れないんだよなあ」。だから持病なのだが、当たり前じゃないかとは笑えなかった。「ホントに、そうだよねえ」と答えていた。風邪や腹痛ならば、いずれは治る。カラダから出ていく。なのに、生涯出ていかない病気とは、やはり不思議と言うしかないだろう。瞑目するようにしてとろろ汁を啜っている作者の姿が、持病持ちひとりひとりの姿に重なってくる。『武蔵』(2001)所収。(清水哲男)




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