今宵満月。「満月や大人になってもついてくる」。どうしても思い出すぜ、辻征夫よ。




2002ソスN9ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2192002

 名月を取てくれろとなく子哉

                           小林一茶

名な『をらが春』に記された一句。泣いて駄々をこねているのは、一茶が「衣のうらの玉」とも可愛がった「さと女」だろう。その子煩悩ぶりは、たとえば次のようだった。「障子のうす紙をめりめりむしるに、よくしたよくしたとほむれば誠と思ひ、きやらきやらと笑ひて、ひたむしりにむしりぬ。心のうち一點の塵もなく、名月のきらきらしく清く見ゆれば、迹(あと)なき俳優(わざをぎ)を見るやうに、なかなか心の皺を伸しぬ」。この子の願いならば、何でも聞き届けてやりたい。が、天上の月を取ってほしいとは、いかにも難題だ。ほとほと困惑した一茶の表情が、目に浮かぶ。何と言って、なだめすかしたのだろうか。同時に掲句は、小さな子供までが欲しがるほどの名月の素晴らしさを、間接的に愛でた句と読める。自分の主情を直接詠みこむのではなく、子供の目に託した手法がユニークだ。そこで以下少々下世話話めくが、月をこのように誉める手法は、実は一茶のオリジナルな発想から来たものではない。一茶句の出現するずっと以前に、既に織本花嬌という女性俳人が「名月は乳房くはえて指さして」と詠んでいるからだ。そして、一茶がこの句を知らなかったはずはないのである。人妻だった花嬌は、一茶のいわば「永遠の恋人」ともいうべき存在で、生涯忘れ得ぬ女性であった。花嬌は若くして亡くなってしまうのだが、一茶が何度も墓参に出かけていることからしても、そのことが知れる。掲句を書きつけたときに、花嬌の面影が年老いた一茶の脳裏に浮かんだのかと思うと、とても切ない。「月」は「罪」。(清水哲男)


September 2092002

 わが葉月世を疎めども故はなし

                           日野草城

語は「葉月」で秋、陰暦八月の異称。「朝ぼらけ鳴く音寒けけき初雁の葉月の空に秋風ぞ吹く」(眞昭法師)。この歌を読んで、わっ、めちゃめちゃな季重なりと、瞬間感じたのは私だけでしょうか。完璧な俳句病です(笑)。歌のように、朝夕はもう寒いくらいだけれど、日中はまだ暑い日が多いのが、いまごろの「葉月」という月だ。春先と同じで、なんとなく情緒不安定になりやすい。まさに「故はなし」であるのだが、草城は病気がちだったので、やはり身体的不調も加わっていたのではなかろうか。暑いなら暑い、寒いなら寒いのがよい。原稿をもらいに行ったときに、いかにもだるそうに呟いた黒田喜夫の顔を思い出した。筆の遅い詩人だったが、暑からず寒からずの季節には、一日に一行も書けない日があった。電話がない家だったので、とにかく神田から清瀬まで、連日通い詰めたものだ。句に従えば「世を疎(うと)」んじていたはずだから、「世」を代表しているような顔つきの編集者なんぞには、会いたくもなかっただろう。と、今にして思う。もう、三十数年も昔の話だ。ただし、この句からそんなに暗い印象は受けない。無理やりにも「故はなし」と、自分で自分に言い聞かせているところが、どことなくユーモラスで、読者の気持ちをやわらげるからだろう。『日野草城句集』(2001)所収。(清水哲男)


September 1992002

 カジノ裏とびきりの星月夜かな

                           細谷喨々

語は「星月夜」で秋。古書に「闇に星の多く明るきをいふなり。月のことにはあらず」とあって、まるで月夜のように星々が輝いている夜のことだ。美しい命名である。「カジノ」とあるからには外国吟と知れるが、一読ラスベガスかなと思ったら、ウィーンでの作句だった。ま、どこの国のカジノでも構わないけれど、面白いと思ったのは、きらびやかなカジノのある繁華な通りを離れて、薄暗い「裏」手の道にまわりこんだりすると、ひとりでに夜空を仰いでしまうような性癖が、総じて我々日本人にはあると思い当たるところだった。すなわち、陰陽の陰を好むのである……。とりわけて詩歌の人にはそういう趣味嗜好性癖があり、したがって、カジノの華麗さを正面から捉えたような作品には、なかなかお目にかかれない。すなわち、いつだって「裏」から発するのではないのかしらん、我々の大半の美意識の表現は……。だから、ウィーンのカジノの裏手を知らない私にも、この「とびきりの星月夜」の美しさはよくわかる。目に見えるような気がするのだ。句の言うとおりに、きっと素晴らしい星空だったに違いない。むろん句としてはこれでよいのだし、そして作者と直接的には無関係なれど、我々の詩歌の裏手からの美意識について、ちょっと考えさせられるきっかけを得た一句となった。私も、陰や影から発する美が好きだ。でも、何故なのだろうか、と。大串章著『自由に楽しむ俳句』(1999・日東書院)の例句より引用。(清水哲男)




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