「十一分の四」ではなく「十一分の」である。残酷な数字だ。あとの言葉はない。




2002ソスN9ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1792002

 点睛の瞳を穿つ栗の虫

                           照井 翠

事に充実した「栗」を、人間の「瞳」に見立てた句。なるほど、熟れてきて毬(いが)からのぞいている様子は、確かにつぶらな瞳に似ている。それも「点睛」というほどなのだから、ほれぼれするような美しい栗だ。が、そのつややかな瞳を、情け容赦もなしに「虫」が「穿つ(うがつ)」てしまっていた。栗にしてみれば、決して画竜点睛を欠いたのではなく、点睛は完璧に成ったのにもかかわらず、思わぬことから全身がむしばまれてしまったのだ。この無念さは、九仞の功を一簣に虧くどころではないだろう。他方、虫は虫でおのれの本能に従ったまでのこと。おのれの日常生活を、自然にまっとうしただけのことなのである。作者は栗に身贔屓しながらも、一方的に虫を責められない事情をあわせて書いている。無惨だとか理不尽だとかとは言わずに、すっと「栗の虫」と止めたところに、それを感じる。あまり勝手な拡大解釈は慎むべきかもしれないが、私に掲句は、人間界のありようの比喩とも受け取れた。お互いにおのれの本分を忠実にまっとうすることで、どちらかがもろくも壊れてしまう……。たとえば、現今のリストラ事情には、資本という名の「栗の虫」が出てくる。『水恋宮』(2001)所収。(清水哲男)


September 1692002

 帰る家ありて摘みけり草の花

                           小島 健

語は「草の花」で秋。野草には、秋に花の咲くものが多い。ちなみに、俳句で「木の花」といえば春の季語だ。名も知れぬ花を摘みながら、こういうことをするのも「帰る家」があるからだと、ふっと思った。それだけのことでしかないのだが、考えてみれば、私たちの生活のほとんどはそれだけのことで占められている。そうした些事に、作者のように心を動かす人もいるし、くだらないことだと動かさない人もいる。どちらが幸福だろうか。最近読んだフランスの作家フィリップ・ドルレムの『しあわせの森をさがして』(廣済堂出版・2002)は、ちょうどそのことを主題にした本だった。「幸福であるのは当たり前のことではない。僕にはただ、多くのチャンスがあり、それが通り過ぎる間にそれを名づけたいという願いがある。芝居では、人々は桜の園が競売に付されるのを待ち望み、雪のような花々を懐かしむ言葉に出会うことになる。僕としては、それが売り物になる前に自分の桜の園を歌いたいものだ。僕は、人生からちょっと引っ込んだところ、まさに時間の流れからはずれて立ち止まっている」(山本光久訳)。このドルレムの言い方に従えば、掲句は「自分の桜の園」を歌っている。ささやかな「幸福」を、とても大切にしている。そして俳句は、いつだって「自分の桜の園」を大事にしてきた文芸だ。だからこそ、声高な「戦争」や「革命」や「希望」や「絶望」の幾星霜を生きのびてこられたのだと思う。『木の実』(2002)所収。(清水哲男)


September 1592002

 反逆す敬老の日を出歩きて

                           大川俊江

駄な「反逆」かもしれない。でも、私は老人扱いされるのはイヤだ。ましてや、おしきせの祝う会などには出たくない。普段通りに、いやそれ以上に、外出してあちこち歩き回ってやるのだ。「敬老」だなんて、冗談じゃないよ。と、意地の一句である。このような句が、私にはようやく実感としてわかる年齢になってきた。まったくもつて、腹立たしい。以下、最近の「日本経済新聞」(2002年9月7日付)に書いた拙文を、多少削って再録しておきます。……それにしても「敬老の日」とは、まことに奇怪にして押しつけがましいネーミングだ。というのも、「敬老」の主体は老人以外の人々のことだから、この日の主体は、実は老人ではないのである。つまり、国が若い人々に老人を敬えと教え、押しつける日ということだ。以前は「としよりの日」といった。それが「老人の日」に変わり、昭和四十一年から「敬老の日」に変更された。かつては、ちゃんと老人主体の祝日だったわけだ。これならば、老人が妙な違和感を覚えないでもすむだろう。できることなら国民投票でもやって、老人主体の日に戻してもらいたい。だいたいが、国家の音頭で「尊敬」などと言いはじめて、ロクなことがあったためしはないのである。それが証拠に、現今の老人に対する国の政策は、とても敬老精神から発しているとは思えない。年金問題、しかり。医療費問題、しかりではないか。事は、大きな問題だけに限らない。景気のよい時には、この日に地方自治体がお祝い金を出していたが、いまでは式典や慰安会だけになってしまった。そのうちに、経費節減でこれらもなくなるかもしれない。金の切れ目が縁の切れ目というわけか。敬老精神を持つべきは、いまや第一に為政者の側なのである。……。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)




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