名刺の整理。申し訳なくも、いつ何処でいただいたのか分からないものがかなりあった。




2002ソスN9ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1692002

 帰る家ありて摘みけり草の花

                           小島 健

語は「草の花」で秋。野草には、秋に花の咲くものが多い。ちなみに、俳句で「木の花」といえば春の季語だ。名も知れぬ花を摘みながら、こういうことをするのも「帰る家」があるからだと、ふっと思った。それだけのことでしかないのだが、考えてみれば、私たちの生活のほとんどはそれだけのことで占められている。そうした些事に、作者のように心を動かす人もいるし、くだらないことだと動かさない人もいる。どちらが幸福だろうか。最近読んだフランスの作家フィリップ・ドルレムの『しあわせの森をさがして』(廣済堂出版・2002)は、ちょうどそのことを主題にした本だった。「幸福であるのは当たり前のことではない。僕にはただ、多くのチャンスがあり、それが通り過ぎる間にそれを名づけたいという願いがある。芝居では、人々は桜の園が競売に付されるのを待ち望み、雪のような花々を懐かしむ言葉に出会うことになる。僕としては、それが売り物になる前に自分の桜の園を歌いたいものだ。僕は、人生からちょっと引っ込んだところ、まさに時間の流れからはずれて立ち止まっている」(山本光久訳)。このドルレムの言い方に従えば、掲句は「自分の桜の園」を歌っている。ささやかな「幸福」を、とても大切にしている。そして俳句は、いつだって「自分の桜の園」を大事にしてきた文芸だ。だからこそ、声高な「戦争」や「革命」や「希望」や「絶望」の幾星霜を生きのびてこられたのだと思う。『木の実』(2002)所収。(清水哲男)


September 1592002

 反逆す敬老の日を出歩きて

                           大川俊江

駄な「反逆」かもしれない。でも、私は老人扱いされるのはイヤだ。ましてや、おしきせの祝う会などには出たくない。普段通りに、いやそれ以上に、外出してあちこち歩き回ってやるのだ。「敬老」だなんて、冗談じゃないよ。と、意地の一句である。このような句が、私にはようやく実感としてわかる年齢になってきた。まったくもつて、腹立たしい。以下、最近の「日本経済新聞」(2002年9月7日付)に書いた拙文を、多少削って再録しておきます。……それにしても「敬老の日」とは、まことに奇怪にして押しつけがましいネーミングだ。というのも、「敬老」の主体は老人以外の人々のことだから、この日の主体は、実は老人ではないのである。つまり、国が若い人々に老人を敬えと教え、押しつける日ということだ。以前は「としよりの日」といった。それが「老人の日」に変わり、昭和四十一年から「敬老の日」に変更された。かつては、ちゃんと老人主体の祝日だったわけだ。これならば、老人が妙な違和感を覚えないでもすむだろう。できることなら国民投票でもやって、老人主体の日に戻してもらいたい。だいたいが、国家の音頭で「尊敬」などと言いはじめて、ロクなことがあったためしはないのである。それが証拠に、現今の老人に対する国の政策は、とても敬老精神から発しているとは思えない。年金問題、しかり。医療費問題、しかりではないか。事は、大きな問題だけに限らない。景気のよい時には、この日に地方自治体がお祝い金を出していたが、いまでは式典や慰安会だけになってしまった。そのうちに、経費節減でこれらもなくなるかもしれない。金の切れ目が縁の切れ目というわけか。敬老精神を持つべきは、いまや第一に為政者の側なのである。……。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


September 1492002

 邯鄲や酒断ちて知る夜の襞

                           正木浩一

語は、ル・ル・ルと美しい声で鳴く秋の虫「邯鄲(かんたん)」。「邯鄲の夢」の故事から命名された。この鳴き声を人生のはかなさに引きつけた感性は、優しくも鋭い。「酒断ちて」は、大病ゆえの断酒と句集から知れる。幸か不幸か、私には断酒に追い込まれた体験はないのだが、句はよくわかる(ような気がする)。おのれの酩酊状態の逆を考えれば、さもありなんと想像できる(ような気がする)からだ。酔いは、人を感性の狭窄状態に連れてゆく。感覚的視野が狭くなり、その結果として、素面のときに見えていたり感じられていたはずのことの多くが抜け落ちてくる。よく言えば雑念が吹っ飛ぶのだし、悪く言えば状況に鈍感になる。このときに、些事に拘泥したり誇大妄想風になったりと、人により現れ方は違うけれど、根っこは同じだ。いずれにしても、日常的に自分の存在を規定している諸条件から、幻想的に抜け出てしまうのである。これが、私なりの酒の力の定義だが、この力が働かない状況に急に置かれると、掲句のように「夜の襞(諸相)」が実によく感じられるだろう。それも、日ごろ酒を飲まない人には感じられない「襞」のありようまでが……。こんなにも夜は深くて多層的で、充実していてデリケートであることを、はじめて覚えた驚き。酒を断たれた哀しみを邯鄲の鳴き声に託しつつも、作者はこの新鮮な驚きに少しく酔っている。『正木浩一句集』(1993)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます