秋場所の番付表を闘牙にもらった人からもらった。貴乃花の最後かなとしみじみと見る。




2002ソスN9ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0692002

 道化師の鼻外しをる夜食かな

                           延広禎一

語は「夜食」で秋。秋は農村多忙の季節ゆえ、元来は農民の夜の軽食を指した。掲句は、芸人ならではの夜食だ。「鼻外しをる」とあるから、まだショーは終わっていない。次の出番までに、とりあえず腹を満たしておこうと、楽屋でこれから仕出し弁当でもつつくところなのだろう。旅から旅への芸人で、それも「道化師」となれば、傍目からの侘しさも募る。味わうというのではなく、ただ空腹を満たすための食事は、昔から芸人の宿命みたいなもので、現代の華やかなテレビタレントでも同じことだ。放送局の片隅で何かを食べている彼らを見ていると、つくづく芸人なんぞになるもんじゃないなと思う。それがむしろ楽しく思えるのは、駆け出しの頃だけだろう。昔、テレビの仕事で、プロレスの初代「タイガーマスク」を取材したことがある。宇都宮の体育館だったと思う。試合前の楽屋に行くと、稀代の人気者が、こちらに背中を向けて飯を食っているところだった。むろん、そんな場面は撮影禁止だ。カメラマンが外に出た気配を確認してから、やおら振り向いた彼の顔にはマスクがなかった。当たり前といえば当たり前だが、いきなりの素顔にはびっくりした。と同時に、誰だって飯くらいは素顔で食いたいのだなと納得もした。手にしていたのは仕出し弁当ではなく、どう見ても駅弁だったね、あれは。体力を使うプロレスラーの食事にしてはお粗末に思えたので、いまでも覚えているという次第。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 0592002

 夢殿にちょっとすんでた竃馬

                           南村健治

語は「竃馬(かまどうま)」で秋。「いとど」とも言い、芭蕉『おくのほそ道』に「海士の屋は小海老にまじるいとどかな」と出てくる。湿ったかまどの周辺や土間などでよく見かけたものだが、いまではどこに棲息しているのだろうか。コオロギに似ているが、翅がなく鳴かない。とにかく、地味で淋しそうな虫だ。句は、そんな竃馬が、なんと、かの有名な法隆寺の「夢殿」に「ちょっとすんでた」ことがあるという。何故わかったかといえば、この虫が作者に語って聞かせたからである(笑)。そんじょそこらの竃馬とは虫の格が違うんだぞと、一寸の虫にも五分のプライドか……。まさか嘘ではなかろうが、得意げに髭を振って話している姿を想像すると、それこそ「ちょっと」可笑しい。このときに、むろん作者は他ならぬ人間界を意識しているわけで、そう言えば、こうした俗物感覚で物を言う人がいることに思い当たる。当人は有名な外国の都市に「ちょっと住んでた」だとか、著名人を「ちょっと知ってる」だとかと、しきりに「ちょっと」とさりげなさを強調するのだけれど、この「ちょっと」が曲者だ。謙虚に見せて、実は押し付けになるケースが多い。そうした押し付けに気がつかない人の自慢話を聞いていると、そのうちに「ちょっと」可哀想な気持ちにもなってくる。『大頭』(2002)所収。(清水哲男)


September 0492002

 夜業の窓にしやくな銀座の空明り

                           鶴 彬

和十年(1935年)の作品。句意は明瞭で、いまどきの「残業」にも通じる内容である。最近では、また残業が増えてきたという。リストラのために、正社員の仕事量が増えてきたからだ。ただし、当時の町工場などでは労働環境が違う。その劣悪さについては、後に引用する句を参照していただきたい。季語は「夜業(夜なべ)」で、秋である。といっても、作者は川柳として作っているので、季節の意識は希薄だったかもしれない。俳句で「夜なべ」を秋としてきたのは、夜長感覚とそれに伴う寂寥感を重んじたためだろう。仄暗い秋灯の侘しさもプラスされる。川柳作家・鶴彬(つる・あきら)の句は、数年前に田辺聖子の近代川柳界を扱った小説『道頓堀の雨に別れて以来なり』を読んだとき以来、もっと知りたいと思ってきた。時の権力に苛烈に抗して「手と足をもいだ丸太にしてかへし」と、川柳得意の笑いを突き詰めた表現の壮絶さに打たれたからである。しかし、何度かあちこちの図書館で調べてみても見つからなかった。理由は、このほどやっと私が読むことのできた本でわかった。この句を発表してから二年後に、鶴は特高警察に逮捕され、翌年の九月、野方警察署留置場で赤痢に罹って、収監のまま豊多摩病院で非業の死を遂げている。二十九歳。べつに大新聞に書いていたわけではなく、一般的には無名の川柳作家が、かくのごとくに国家権力に蹂躙された事実を知った以上は、忘れるわけにはいかない。こうした作家を現代に掘り起こしてくれた方々に、深く謝意を表します。そして、もう二句。すなわち、劣悪な職場環境を詠んだ句に「吸ひに行く――姉を殺した綿くずを」「もう綿くずを吸へない肺でクビになる」がある。小沢信男編『松倉米吉 富田木歩 鶴彬』(2002・イー・ディー・アイ)所載。(清水哲男)




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