バスの中から子供の姿が消えた。代りに、どっと老人たちが増えた。待ってたのかなあ。




2002ソスN9ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0392002

 虫の夜の星空に浮く地球かな

                           大峯あきら

語は「虫」で秋。秋に鳴く虫一般のことだが、俳句で単に「虫」といえば、草むらで鳴く虫たちだけを指す。鳴くのは、雄のみ。さて、天には星、地には草叢にすだく虫。作者は、まことに爽やかかつ情緒纏綿たる秋の夜のひとときを楽しんでいる。星空を見上げているうちに、自分がいまこうして存在している「地球」もまた、あれらの星のように「空」に浮かんでいるのだと思った。すると、作者の視座に不思議なずれが生じてきた。地球をはるかに離れて、どこか宇宙の一点から星空全体を眺めているような……。この視座からすると、たしかに地球が遠くで青く光る姿も見えてくるのである。となれば、虫たちは地球上の草叢ではなくて、いわば宇宙という草叢全体ですだいている理屈になる。つまり、作者には庭先の真っ暗な草叢が、にわかに宇宙的な広がりをもって感じられたということだろう。一種の錯覚の面白さだが、はじめて読んだときには、ふわりと浮遊していく自分を感じて、軽い目まいを覚えた。それは、地球が空に浮いているという道理からではなく、草叢がいきなり宇宙空間全体に拡大されたことから来たようだった。『夏の峠』(1997)所収。(清水哲男)


September 0292002

 廃船のたまり場に鳴く夏鴉

                           福田甲子雄

廃船
書に「石狩川河口 三句」とある。つづく二句は「船名をとどむ廃船夕焼ける」と「友の髭北の秋風ただよはせ」だ。三句目からわかるように、作者が訪れたのは暦の上では夏であったが、北の地は既に初秋のたたずまいを見せていた。石狩川の河口には三十年間ほどにわたり、十数隻の木造船が放置されていて、一種の名所のようになっていたという(1998年に、危険との理由で撤去された)。この「たまり場」の廃船を素材にした写真や絵画も、多く残されている。かつて荒海をも乗り切ってきた船たちが、うち捨てられている光景。それだけでも十分に侘しいのに、鴉どもが夕暮れに寄ってきては、我関せず焉とばかりに鳴き立てている。しかし、その無神経とも思える鳴き声が、よけいに作者の侘しさの念を増幅するのだった。そのうちにきっと、野放図な鴉の声もまた、廃船の運命を悼んでいるようにも聞こえてきたはずである。この句の成功の要因を求めるならば、鳴いているのが「夏鴉」だからだ。「秋鴉」としても現場での実感に違和感はなかったろうが、いわゆる付き過ぎになって、かえって句柄がやせ細ってしまう。したがって、たとえばここしばらくのように、実感的に秋とも言え夏とも言える季節の変わり目で、写生句を詠むときの俳人は「苦労するのだろうな」などと、そんなことも思わせられた掲句である。写真は北海道テレビのHPより、廃船を描く最後の写生会(1998年6月)。『白根山麓』(1988・邑書林句集文庫版)所収。(清水哲男)


September 0192002

 撫で殺す何をはじめの野分かな

                           三橋敏雄

日は、立春から数えて二百十日目。このころに吹く強い風が「野分(のわき・のわけ)」だ。ちょうど稲の開花期にあたるので、農民はこの日を恐れて厄日としてきた。「二百十日」も「厄日」も季語である。さて、句の「撫で殺す」は造語だろうが、「誉め殺し」などに通じる使い方だ。誉めまくって相手を駄目にするように、撫でまくることで、ついには相手をなぎ倒してしまうのである。強風は、いきなり最初から強く吹くのではない。「何をはじめ(きっかけ)」とするかわからないほどに、ひそやかな風として誕生するわけだ。だから、最初のうちは万物を撫でるように優しく吹くのであるが、それが徐々に風速を増してきて、やがては手に負えないほどの撫で方にまで生長してしまう。まったく「何をはじめ」として、かくのごとくに風が荒れ狂い、野のものを「撫で殺す」にいたったのか。ここで作者はおそらく、野分に重ね合わせてみずからの御しがたい心の状態を思っている。たとえば、殺意だ。はじめは優しく撫でていた気分が、いつの間にか逆上していき、相手を押しのめしたくなるそれに変わってしまうことがある。この不可解さは、すなわち「何をはじめの狂気かな」とでも言うしかない性質のものだろう。『眞神』(1973)所収。(清水哲男)




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