『戦争と平和』を読んだのも『大菩薩峠』を読んだのも夏休み。二度と読めないだろう。




2002ソスN7ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2872002

 腰の鎖じゃらじゃら鳴らしラムネ飲む

                           古澤千秋

語は「ラムネ」で夏。日常的な飲み物ではないが、祭や観光地に出かけると、ふっと飲みたくなったりする。私などちっとも美味くないとは思うけれど、遊び心にマッチした飲み物ではあるだろう。しかし、句の様子からすると、主人公は遊び心で飲み、ひとりでに「腰の鎖」が「じゃらじゃら」鳴っているのではない。「鳴らし」とあるからには、故意である。すなわち、演技的に鳴らしているのだ。そもそも腰に鎖をつけること自体が、演技的である。では、なぜ鳴らしているのか。大づかみに、二つ考えられる。一つは、これみよがしに自分の存在を誇示しているケース。もう一つは、自分のなかに倦怠感など鬱屈したものがあって、苛立ちを身体で表現しているケースだ。そのどちらであるかは、句からだけでは第三者にわかりっこない。けれど、飲んでいる人は女性だから、たいがいの男にはコケティッシュに写るにちがいないと思った。なかなか「いいじゃん」と、少なくとも私には写る。何がいいのかと聞かれても困るのだが、「じゃらじゃら」の響きにはどこか崩れた調子、投げやりな感じがあって、そういうところに他愛なく惹かれるのが、おおかたの男というものだろう。ただし、鳴らしすぎては逆効果になることもあるから難しい。過度になると「甘ったれんじゃねえ」みたいな反応も起きてくる。実際に鳴らしている人は、そんなことには無関心かもしれないが、作句者の立場からはそのへんを十分に意識してのことだろうと思われた。「じゃらじゃら」は「チャラチャラ」にも通じ、両方とも好みの表現だが、実際にいざ俳句で使うとなると、想像以上に難しいんだろうなあ……。そんなことを、チャラチャラと思って遊んでいる日曜日です。俳誌「ににん」(2002年夏号)所載。(清水哲男)


July 2772002

 蚊帳といふ網にかかりし男かな

                           穂積茅愁

かや
語は「蚊帳(かや)」で夏。蛇足ながら、「蚊帳」の読みは漢字検定2級程度のレベルだそうです。昔は必需品だったが、今はなつかしい思い出の一部となってしまった蚊帳。「蚊帳吊りし昭和の釘の残りけり」(成井侃)。蚊帳をくぐって入れば、そこは別世界のように思われた。いわば、部屋の中の部屋。透けてはいるけれど、密室に入った感じがした。緑がかった色で赤い縁取りのある蚊帳が多かったのを記憶している。が、あれはいかなる発想から決められた色なのか。寝具の老舗「西川」のHPによれば、次のようだ。「今日、蚊帳といえば、萌黄(もえぎ)色に紅布の縁がついたものをイメージするが、これがいわゆる近江蚊帳であり、そのデザインを考案したのが二代目甚五郎であった。一説によれば、甚五郎が商用で江戸に下る途中、箱根で『夢の啓示』をうけ、新緑に日がさしている美しいイメージを再現したものといわれる。緑と赤のモダンな色彩の近江蚊帳が評判をよび、やがて蚊帳全体の代名詞ともなり、広く普及していくのである」。ものが蚊帳だけに、夢の啓示か(笑)。しかし、新緑に日が射しているイメージとは驚く。はじめて知った。そんなイメージを、蚊帳に思い描いたことは一度もなかった……。そしてまた、色も世に連れるというわけで、最近でも売られている蚊帳の色は白色が主流のようである。さて、掲句については、言うだけヤボだ。密室に引き込まれてしまえば、それだけで勝負はついたも同然なり。他人事みたいに書いてはいるけれど、ま、読者の御想像にまかせましょうというところか。絵は弄春齋榮江。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


July 2672002

 寝冷人まなこで凝と我を見る

                           八田木枯

語は「寝冷人(寝冷え)」で夏。「寝冷子」という季語もあるほどで、子供はしばしば寝冷えするが、句の「人」は大人だろうか。いずれにしても家人であり、あまり体調がよくないようだ。といって大病を患っているわけでもないから、気遣うともなく気遣うという感じで当人を見やると、「凝(じっ)と」見返してきた。「まなこで」が効いている。疲れてだるいその人の「まなこ」は、何かを訴えたり、表現しようとしているのではない。ただ、じいっと見返してきただけなのだ。瞬時かもしれないが、お互いの「まなこ」が吸い付き吸い付かれたような関係となり、一種の真空状態が生まれたような感じになる。そこには、何のコミュニケーションもない不思議な関係ができあがり、自然にすっと目を外すことができなくなる。相手の「まなこ」だけがぐっとクローズアップされてきた様子を、「まなこ」で見ると押さえたわけだ。こういうことは、日常的にときどき起きる。相手が病人ではなくとも、意味なく目が合い吸い付き吸い付けられてしまう。あれはいったい、いかなる心理的要因によるものなのか。要因はともかく、こういうことをきちんと書きこめる文芸は、俳句以外にはないだろう。「俳句」(2002年8月号)所載。(清水哲男)




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