またしても台風か。今年は何でも早めに来る。もう秋になっちゃったんじゃあるまいね。




2002ソスN7ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1672002

 女涼し窓に腰かけ落ちもせず

                           高浜虚子

語は「涼し」で夏。なんとなく可笑しい句だ。笑えてくる。「女」が「腰かけ」ているのは、二階あたりの「窓」だろう。女性が窓に腰かけるとすれば、解放感にひたれる旅館か別荘である。少なくとも、自宅ではない。涼を取るために開け放った窓の枠にひょいと腰かけて、たぶん室内にいる人と談笑しているのだろう。柱に掴まるでもなく、両手を大きく広げたり、のけ反り気味に笑ったりしている。作者には下から見えているわけだが、いささかはらはらさせられると同時に、女性の屈託の無い軽やかさが「涼し」と感じられた。この「涼し」は「涼しい顔」などと言うときの「涼し」にも通じていると思われる。「落ちもせず」が、そのことを感じさせる。それにしても「落ちもせず」というぶっきらぼうな押さえ方は愉快だ。でも、逆に虚子は少々不愉快だったから、ぶっきらぼうに詠んだのかもしれない。お転婆女性は好きじゃなかったと想像すると、「涼し」の濃度は「涼しい顔」への「涼し」にぐんと近づく理屈だ。だとすれば、「落ちもせず」は「ふん」と鼻白んだ気分から出たことになるが、いずれにしても可笑しい句であることに変わりはない。別にたいしたことを言っているわけじゃないのに、こういう句のほうが記憶に残る。さすれば、これはやっぱり、たいしたことなのではあるまいか。遺句集『七百五十句』(1964)所収。(清水哲男)


July 1572002

 乳母車夏の怒濤によこむきに

                           橋本多佳子

い空、青い海。激しく打ち寄せる波から少し離れたところに、ぽつんと「よこむきに」置かれている「乳母車」。なかでは、赤ん坊がすやすやと眠っているのだろう。大いなる自然の勢いの前では無力に等しい乳母車の位置づけが、「よこむきに」の措辞で明晰に意識されている。乳母車を止めた母親の、怒濤(どとう)に対する半ば本能的な身構えが「よこむきに」に表われている。はじめて読んだときには、この乳母車が高い崖の上に置かれているのかと思った。はらはらさせられたわけだが、実際には違っていてほっとしたことを思い出す。作者の弁によれば、小田原の御幸が浜で作られた句で、つい娘と話に夢中になり、気がつくと、孫を乗せた乳母車がぽつんと浜におきざりになっていた……。この句からそれこそ思い出されるのは、三橋敏雄の「長濤を以て音なし夏の海」だ。「長濤(ちょうとう)」とは聞きなれない言葉だが、遠くから押し寄せてくる大きな波のこと。この圧倒的な波の勢いとまともに向き合えば、掲句ではまだ見えている海の色や乳母車の色、それに波の打ち寄せる音などが一切消えてしまう。まるで無声映画のように、色も音もなく寄せてくる強大な波の姿だけがクローズアップされ、そのうちに見ている作者までもが消えてしまうのである。『紅絲』(1951)所収。(清水哲男)


July 1472002

 巴里祭モデルと画家の夫婦老い

                           中村伸郎

語は「巴里祭(パリ祭)」で夏。読みは「パリーさい」。七月十四日、フランスの革命(1789)記念日である。ルネ・クレールの映画『七月十四日』が、日本では『巴里祭』と訳され紹介されたことに由来する命名だ。したがって、日本でのこの日は、血なまぐさい革命からは遠く離れた甘美な雰囲気の日として受容されてきた。そして、パリは20世紀の半ば過ぎまで、日本の芸術家にとって憧れの都であり、とりわけて画家たちの意識のうちには「聖都」の感すらあったであろう。美術史的な意義は省略するけれど、実際にパリに渡った青年画家たちの数は数えきれないほどだったし、掲句のようなカップルが誕生することも自然のことだったと思われる。とはいえ、句のカップルがフランス女性と日本男性を指しているのかどうかはわからない。日本人同士かもしれないが、しかし、二人の結びつきの背景には、こうしたパリへの憧れや情熱を抜きにしては語れないことからの季語「巴里祭」なのだ。その二人が、かくも老いてきた。そして、他ならぬ自分もまた……。作者は、たぶん文学座の役者で小津映画にもよく出ていた「中村伸郎」だろう。そう思って読むと、句の物語性はかなり舞台的演劇的である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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