ドイツからの客人が部屋を真っ白に塗り替えてくれた。ミケランジェロみたいな真剣さ。




2002ソスN7ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1572002

 乳母車夏の怒濤によこむきに

                           橋本多佳子

い空、青い海。激しく打ち寄せる波から少し離れたところに、ぽつんと「よこむきに」置かれている「乳母車」。なかでは、赤ん坊がすやすやと眠っているのだろう。大いなる自然の勢いの前では無力に等しい乳母車の位置づけが、「よこむきに」の措辞で明晰に意識されている。乳母車を止めた母親の、怒濤(どとう)に対する半ば本能的な身構えが「よこむきに」に表われている。はじめて読んだときには、この乳母車が高い崖の上に置かれているのかと思った。はらはらさせられたわけだが、実際には違っていてほっとしたことを思い出す。作者の弁によれば、小田原の御幸が浜で作られた句で、つい娘と話に夢中になり、気がつくと、孫を乗せた乳母車がぽつんと浜におきざりになっていた……。この句からそれこそ思い出されるのは、三橋敏雄の「長濤を以て音なし夏の海」だ。「長濤(ちょうとう)」とは聞きなれない言葉だが、遠くから押し寄せてくる大きな波のこと。この圧倒的な波の勢いとまともに向き合えば、掲句ではまだ見えている海の色や乳母車の色、それに波の打ち寄せる音などが一切消えてしまう。まるで無声映画のように、色も音もなく寄せてくる強大な波の姿だけがクローズアップされ、そのうちに見ている作者までもが消えてしまうのである。『紅絲』(1951)所収。(清水哲男)


July 1472002

 巴里祭モデルと画家の夫婦老い

                           中村伸郎

語は「巴里祭(パリ祭)」で夏。読みは「パリーさい」。七月十四日、フランスの革命(1789)記念日である。ルネ・クレールの映画『七月十四日』が、日本では『巴里祭』と訳され紹介されたことに由来する命名だ。したがって、日本でのこの日は、血なまぐさい革命からは遠く離れた甘美な雰囲気の日として受容されてきた。そして、パリは20世紀の半ば過ぎまで、日本の芸術家にとって憧れの都であり、とりわけて画家たちの意識のうちには「聖都」の感すらあったであろう。美術史的な意義は省略するけれど、実際にパリに渡った青年画家たちの数は数えきれないほどだったし、掲句のようなカップルが誕生することも自然のことだったと思われる。とはいえ、句のカップルがフランス女性と日本男性を指しているのかどうかはわからない。日本人同士かもしれないが、しかし、二人の結びつきの背景には、こうしたパリへの憧れや情熱を抜きにしては語れないことからの季語「巴里祭」なのだ。その二人が、かくも老いてきた。そして、他ならぬ自分もまた……。作者は、たぶん文学座の役者で小津映画にもよく出ていた「中村伸郎」だろう。そう思って読むと、句の物語性はかなり舞台的演劇的である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


July 1372002

 人間に火星近づく暑さかな

                           萩原朔太郎

句については、昨年前橋文学館で、以下のように話しました。速記録より、ほぼそのまんま。……今みたいに解明された、あそこには何もないんだよ、という火星とは、ちょっと朔太郎の使った時代には違っていて、もう少し、火星には何かあるに違いない、というような火星が近づいてきてるわけですね。この「人間に近づく」っていうのが手柄だと思いますよ。「地球」に近づくだったら、あまり面白くなくなる。「人間」に「火の玉」のような星が近づいてくる。だから「暑さかな」ってのは、暑くてかなわん、というよりも、何かこう暑さの中に不気味なものが混ざっているような暑さということで、単にもう、暑いから水浴びでもするかっていうふうなことじゃなくて、水浴びなんかしたって取れないような暑さ、ちょっと粘り着くような暑さが感じられる句で、冬に読むとあまり実感が湧かないかもしれません。これ真夏の暑いときに、暑さにもいろいろありますからね、もう本当に暑くて暑くて何も考えられなくて、シャワーでも浴びるかっていうのもあれば、何か不気味な感じの、何か粘つくような暑さっていうのもあって、どっちかっていうと、これは粘つくような暑さを読んだ句だなあと思って、これはなかなか、なかなかというと失礼ですけど、これは非常に、非常な名句だと思います。『萩原朔太郎全集・第三巻』(1986・筑摩書房)所収。(清水哲男)




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