今宵は恒例(ったって誰も知らない)の七夕会。男三人が年に一度だけ寄り合って飲む。




2002ソスN7ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1272002

 かはほりの天地反転くれなゐに

                           小川双々子

語は「かはほり(蝙蝠・こうもり)」で夏。夜行性で、昼間は洞窟や屋根裏などの暗いところに後肢でぶら下がって眠っている。なかには「かはほりや仁王の腕にぶら下り」(一茶)なんて奴もいる。したがって、句の「天地反転」とは蝙蝠が目覚めて飛び立つときの様子だろう。「くれなゐ」は「くれなゐ(の時)」で、夕焼け空が連想される。紅色に染まった夕暮れの空に、蝙蝠たちが飛びだしてきた。「天地反転」という漢語の持つ力強いニュアンスが、いっせいに飛び立った風情をくっきりと伝えてくる。そして、この言葉はまた、昼夜「反転」の時も告げているのだ。現実の情景ではあるのだが、幻想的なそれに通じるひとときの夕景の美しさ。最近の東京ではとんと見かけないけれど、私が子供だったころには、東京の住宅地(中野区)あたりでも、彼らはこんな感じで上空を乱舞していた。竹竿を振り回して、追っかけているお兄ちゃんたちも何人かいたような……。何の話からだったか、編集者時代に武者小路実篤氏にこの話をしたところ、「ぼくの子供の頃には丸ノ内で飛んでましたよ」と言われてしまい、つくづく年齢の差を感じさせられた思い出もある。俳誌「地表」(2002年5月・通巻第四一四号)所載。(清水哲男)


July 1172002

 梯子あり颱風の目の青空へ

                           西東三鬼

語は「颱風(台風)」で秋。颱風は中国語の颱と英語のtyphoonの音をとったもので、一般に通用するようになったのは大正時代からだという。それ以前は「野分(のわき)」。戦後は「颱」の字が当用漢字に無いので、「台風」と書くようになった。さて、子供の頃は山口県に住んでいたので、よく台風がやってきた。でも、運良く(?!)「颱風の目」に入った体験は一度か二度しかない。学校で習ったとおりに、最前まで激しかった風雨がウソのように治まり、無風快晴の状態となる。と、そのうちに隣近所みなぞろぞろと表に出てきて、抜けるような青空を仰いでは「ほお」などと言っていた。ああいうときには、「ほお」ぐらいしか発する言葉はないようだ。心が、いわば一種の真空状態になってしまうからだろう。その真空状態を景観的に捉えたのが、掲句だと読む。台風に備えて、高いところを補強する釘でも打つために使ったのか。そのまましまい忘れられていた梯子(はしご)が、これまたウソみたいに倒れもせずにそこに立っていて、くっきりと青空のほうへと伸びていた。「ほお」としか言い得ないような心の状態が、梯子一本で見事に視覚化されている。今度はこの梯子もしまわれ、しばらくするとまた猛烈な風雨がやってきて、人々は真空状態から脱するのである。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


July 1072002

 夏鶯さうかさうかと聞いて遣る

                           飯島晴子

語は「夏鶯」。夏は鶯の繁殖期で、巣作りのために山の中に入ってしまう。だから、夏の鶯の鳴き声は高原や山岳地帯で聞くことが多い。「老鴬(ろうおう)」の名もあるが、実際に老いた鶯を言うのではない。春には人里近くで鳴く鶯が、夏の山中ではまだ鳴いていることから、主観的に「老」を連想した命名だろう。作者には、いわば世間から忘れ去られてしまったような鶯が、懸命に何かを訴えかけてきているように聞こえている。むろん訴えの中身などはわかるわけもないけれど、「さうかさうか(そうかそうか)」と何度もうなずいて、聞いてやっている。思わずも微笑させられるシーンだ。が、作者自身はどんな気持ちから書いたのだろうか。言い添えておけば、晩年の句だ。ここで、夏鶯は小さな生命の象徴である。そんな小さな生命の存在に対して、若年の日には思いも及ばなかった反応をする自分がいることに、作者はしみじみと不思議を感じているような気がする。どこにも自分が「老いた」とは書かれていないが、自然な気持ちでうなずいている自分の様子を句として差し出すことで、不思議を断ち切り、免れがたい老いを素直にまるごと認めようとしたのではあるまいか。微笑しつつも、私にはみずからの近未来の姿が重なってくるようで、だんだん切なくもなってくる……。『平日』(2001)所収。(清水哲男)




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