台風一過の青空が広がってきた。窓打つ嵐によく眠れず。予想最高気温35度とはつらい。




2002ソスN7ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1172002

 梯子あり颱風の目の青空へ

                           西東三鬼

語は「颱風(台風)」で秋。颱風は中国語の颱と英語のtyphoonの音をとったもので、一般に通用するようになったのは大正時代からだという。それ以前は「野分(のわき)」。戦後は「颱」の字が当用漢字に無いので、「台風」と書くようになった。さて、子供の頃は山口県に住んでいたので、よく台風がやってきた。でも、運良く(?!)「颱風の目」に入った体験は一度か二度しかない。学校で習ったとおりに、最前まで激しかった風雨がウソのように治まり、無風快晴の状態となる。と、そのうちに隣近所みなぞろぞろと表に出てきて、抜けるような青空を仰いでは「ほお」などと言っていた。ああいうときには、「ほお」ぐらいしか発する言葉はないようだ。心が、いわば一種の真空状態になってしまうからだろう。その真空状態を景観的に捉えたのが、掲句だと読む。台風に備えて、高いところを補強する釘でも打つために使ったのか。そのまましまい忘れられていた梯子(はしご)が、これまたウソみたいに倒れもせずにそこに立っていて、くっきりと青空のほうへと伸びていた。「ほお」としか言い得ないような心の状態が、梯子一本で見事に視覚化されている。今度はこの梯子もしまわれ、しばらくするとまた猛烈な風雨がやってきて、人々は真空状態から脱するのである。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


July 1072002

 夏鶯さうかさうかと聞いて遣る

                           飯島晴子

語は「夏鶯」。夏は鶯の繁殖期で、巣作りのために山の中に入ってしまう。だから、夏の鶯の鳴き声は高原や山岳地帯で聞くことが多い。「老鴬(ろうおう)」の名もあるが、実際に老いた鶯を言うのではない。春には人里近くで鳴く鶯が、夏の山中ではまだ鳴いていることから、主観的に「老」を連想した命名だろう。作者には、いわば世間から忘れ去られてしまったような鶯が、懸命に何かを訴えかけてきているように聞こえている。むろん訴えの中身などはわかるわけもないけれど、「さうかさうか(そうかそうか)」と何度もうなずいて、聞いてやっている。思わずも微笑させられるシーンだ。が、作者自身はどんな気持ちから書いたのだろうか。言い添えておけば、晩年の句だ。ここで、夏鶯は小さな生命の象徴である。そんな小さな生命の存在に対して、若年の日には思いも及ばなかった反応をする自分がいることに、作者はしみじみと不思議を感じているような気がする。どこにも自分が「老いた」とは書かれていないが、自然な気持ちでうなずいている自分の様子を句として差し出すことで、不思議を断ち切り、免れがたい老いを素直にまるごと認めようとしたのではあるまいか。微笑しつつも、私にはみずからの近未来の姿が重なってくるようで、だんだん切なくもなってくる……。『平日』(2001)所収。(清水哲男)


July 0972002

 命令で油虫打つ職にあり

                           守屋明俊

語は「油虫」(「ごきぶり」とも)で夏。同じ句集に「ごきぶりを打ちし靴拭き男秘書」とあり、作者の「職」種がわかる。会社の秘書室などというところは、一般社員からすると一種伏魔殿のように思える部署だ。いつも落ち着きはらった顔の秘書たちは、とうてい同じ社員とは写らない。そんな秘書のイメージをぶち破る句でなかなかに痛快だけれど、当の秘書である作者にしてみればとんでもない話なのである。自嘲しながらも、「命令」だから「油虫」を打ってまわらねばならない。脱いだ靴を手に油虫の出現に身構える男の姿は、テレビドラマにでも出てきそうだ。こんな姿は、家人にも友人知己にも見せられない。でも、いまはこれが俺の仕事なのだと思うと、ひどくみじめに感じる反面、一方では笑いだしたくなる気分も涌いているのではあるまいか。程度の差はあれ、どんな職業に従事しようとも、類したことは多少とも身にふりかかるだろう。業務「命令」はとりあえず順守しなければ契約違反になりかねないので、とりあえずこなさなければならない。なんて固いことを言う前に、昔からの社風といったものが無言の圧力となって、たいていの人は我慢しているのではあるまいか。まことに、家族を養い食っていくのは忍耐のいることだ。親は革靴にぎらせて、ごきぶり殺せとをしへしや……。君泣きたまふこと勿れ。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)




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