季語が老鶯の句

July 1072002

 夏鶯さうかさうかと聞いて遣る

                           飯島晴子

語は「夏鶯」。夏は鶯の繁殖期で、巣作りのために山の中に入ってしまう。だから、夏の鶯の鳴き声は高原や山岳地帯で聞くことが多い。「老鴬(ろうおう)」の名もあるが、実際に老いた鶯を言うのではない。春には人里近くで鳴く鶯が、夏の山中ではまだ鳴いていることから、主観的に「老」を連想した命名だろう。作者には、いわば世間から忘れ去られてしまったような鶯が、懸命に何かを訴えかけてきているように聞こえている。むろん訴えの中身などはわかるわけもないけれど、「さうかさうか(そうかそうか)」と何度もうなずいて、聞いてやっている。思わずも微笑させられるシーンだ。が、作者自身はどんな気持ちから書いたのだろうか。言い添えておけば、晩年の句だ。ここで、夏鶯は小さな生命の象徴である。そんな小さな生命の存在に対して、若年の日には思いも及ばなかった反応をする自分がいることに、作者はしみじみと不思議を感じているような気がする。どこにも自分が「老いた」とは書かれていないが、自然な気持ちでうなずいている自分の様子を句として差し出すことで、不思議を断ち切り、免れがたい老いを素直にまるごと認めようとしたのではあるまいか。微笑しつつも、私にはみずからの近未来の姿が重なってくるようで、だんだん切なくもなってくる……。『平日』(2001)所収。(清水哲男)


June 0462003

 老鶯をきくズロースをぬぎさして

                           辻 桃子

語は「老鶯(ろうおう)」で夏。年老いた鶯のことではなくて、夏になっても鳴いている鶯のことを言う。物の本に「その声やや衰ふ」ことからの命名とあるが、そうとも限らない。数年前の盛夏、京都・宇治の多田道太郎邸で余白句会を開いたときには、庭先まで来て実に元気な声で鳴いていた。しかし、掲句の場合には、やや衰えた感じの鳴き声のほうが似あいそうだ。思いもかけぬときに、どこからかかすかに鶯の声が聞こえてきた。ちょうど「ズロース」をぬぎかけていたのだが、思わずも手を止めてじっと耳傾けてしまったというのである。誰かに見られていたら、まことに妙な格好のままなのだけれど、むろん周囲には誰もいない。これが、たとえば料理や洗濯の最中のことであっても、俳句にはなるだろう。なるけれども、面白味には欠けてしまう。やはり、妙な格好であるからこそのリアリティの強さが、掲句の魅力だ。そしてこの生臭くも滑稽な句のイメージは、この句だけにとどまらず、人がひとりでいるときの様態一般に及んでいる。そこが素晴らしい。誰もが一瞬アハハと笑い、でも我が身に照らして、必ずしも笑ってすまされる句ではないことに気がつくからだ。掲句とは逆に、ひとりでいることを意識的に利用した詩に、片岡直子の「かっこう」がある。「誰もいないへやで/私だけいるへやで//私は素敵なかっこうをしてみます//足をたくみにからませて/のばしてみたり/折ってみたり//手も上手についてみます//そうして うつろな眼を壁になげます//いろんなかっこうをしてみます//君はどんなかっこうがすきですか?」。これまた、アハハと笑うだけではすまされない。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


January 0212009

 手を入れて水の厚しよ冬泉

                           小川軽舟

体に対してふつうは「厚し」とは言わない。「深し」なら言うけれど。水を固体のように見立てているところにこの句の感興はかかっている。思うにこれは近年の若手伝統派の俳人たちのひとつの流行である。長谷川櫂さんの「春の水とは濡れてゐるみづのこと」、田中裕明さんの「ひやひやと瀬にありし手をもちあるく」、大木あまりさんの「花びらをながして水のとどまれる」。水が濡れていたり、自分が自分の手を持ち歩いたり、水を主語とする擬人法を用いて上だけ流して下にとどまるという見立て。「寒雷」系でも平井照敏さんが、三十年ほど前からさかんに主客の錯綜や転倒を効果として使った。「山一つ夏鶯の声を出す」「薺咲く道は土橋を渡りけり」「秋山の退りつづけてゐたりけり」「野の川が翡翠を追ひとぶことも」等々。山が老鶯の声で鳴き、道が土橋を渡り、山が退きつづけ、川が翡翠を追う。その意図するところは、「もの」の持つ意味を、転倒させた関係を通して新しく再認識すること。五感を通しての直接把握を表現するための機智的試みとでも言おうか。『近所』(2001)所収。(今井 聖)


July 0472012

 老鶯の声捨ててゆく谷深し

                           新井豊美

は「春告鳥」とも「歌詠鳥」とも呼ばれ、言うまでもなく春の鳥である。しかし、春の頃はまだ啼きはじめだから、声はいまだしの感があってたどたどしい。季節がくだるにしたがって啼きなれて、夏にはその声も鍛えられて美しくなってくる。そうした鶯は「老鶯(おいうぐひす)」とも「残鶯」とも呼ばれて、夏の季語である。谷渡りする鶯だろうか、声を「捨ててゆく」ととらえたところが何ともみごとではないか。美しい声を惜しげもなく緑深い谷あいに「捨てて」、と見立てたところが、さすがに詩人の鋭い感性ならでは。鶯の声は谷あいに涼しげに谺して、いっそう谷を深いものにしている。数年前に鎌倉の谷あいでしきりに聴いた老鶯の声を思い出した。うっとりと身をほぐすようにして、しばし耳傾けていたっけ。(豊美さんの声も品良くきれいだったことを思い出した。)二〇〇九年七月のある句会で特選をとった句だという。同じ時の句「この道をどこまでゆこう合歓の花」も特選をさらった。「鶺鴒通信」夏号(2012)所載。(八木忠栄)


August 0382014

 雲は王冠詩をたづねゆく夏の空

                           仙田洋子

者は、稜線を歩いているのでしょう。標高の高い所から、雲を王冠のように戴いている山を、やや上に仰ぎ見ているように思われます。「雲は王冠」の一言で詩に出会えていますが、夏の空にもっともっとそれをたづねてゆきたい、そんな、詩を求める心がつたわります。句集では、掲句の前に「恋せよと夏うぐひすに囃されし」、後に「夏嶺ゆき恋する力かぎりなし」があり、詩をたづねる心と恋する力が仙田洋子という一つの場所から発生し、それを率直に俳句にする業が清々しいです。また、「橋のあなたに橋ある空の遠花火」「国後(クナシリ)を遥かに昆布干しにけり」といった、彼方をみつめる遠い眼差しの句がある一方で、「わが胸に蟷螂とまる逢ひに行く」「逢ふときは目をそらさずにマスクとる」「雷鳴の真只中で愛しあふ」といった、近い対象にも率直に対峙する潔い句が少なくありません。詩に対する、恋に対する真剣さが、瑞々しさとして届いています。ほかに、「踏みならす虹の音階誕生日」。『仙田洋子集』(2004)所収。(小笠原高志)


July 3172015

 老鶯の声つやつやと畑仕事

                           満田春日

の鳴き声は秋のジジッジジッの地鳴きに始まって冬のチャッチャッの笹鳴き、ホーホケキョウの春の囀り、夏の老鶯の鳴き盛りと四季を彩ってゆく。秋冬に山にいたものも、春には公園や庭の藪中や川原のヨシやススキの原などに移ってくるが、鳴き声は聞こえても姿はなかなか確認できない。一説には鶯にも方言があって地方地方での鳴き方には差があるらしい。繁殖相手に競争が少ない地方ではのんびりと鳴き、競争の激しい所では激しく鳴くとも言われている。一般にホーホケキョウは「法、法華経」と聞きなされている。今畑打つ傍らで鳴く鶯の声は恋の一仕事を終えた余裕なのかつやつやと聞こえる。あるいは熟練した人間国宝の様な鳴き技かも知れぬ。夏の萬物の盛るころ、命に懸命に向かうのは鳴きしきる老鶯も畑打つ人間もおなしである。他に<からませし腕の記憶も青葉どき><乳母車上ぐる階段アマリリス><短夜の書架に学研星図鑑>など掲載。俳誌「はるもにあ」(2014年8月号)所載。(藤嶋 務)




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