分厚い本を読んでいる。目が悪いこともあるが、紙魚になった気分。紙魚は夏の季語也。




2002ソスN6ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2362002

 人死して家毀たるる深みどり

                           河合照子

語は「みどり(緑)」で夏。新緑の候を過ぎて、夏も盛りに近い「深みどり」。「毀たるる」は「こぼたるる」で、取り壊されるの意。この「毀たるる」という古い言葉が、実によく効いている。近所の独り住まいの人が亡くなって、残った家はどうなるのかと思っていたら、取り壊しの工事がはじまった。あの家も、これで見納めか。見に行くと、あっけないほど簡単に家が崩れていった。すべてが他力で「壊さるる」というよりも、「毀たるる」には、どこかに自壊していくようなニュアンスがある。もはやふんばりが効かなくなって、みずからが崩れ落ちていくといった感じだ。この古い言葉から、家それ自体の古さも想像できる。精気溢れる「深みどり」のなかに、半ば自壊しつつ崩れ落ちていく家の姿は、人の世のはかなさを具現していて、まことに切ない。人は死んだら何もかもお終い、なのである。私は編集者だったことがあるから、いろいろな執筆者の家を知っている。いま住んでいる三鷹市の近所で言えば、金子光晴や吉田一穂のお宅には何回となくうかがった。一度だけだが、歌人の宮柊二邸にも。なかで、亡くなるとすぐに「毀たれた」のが一穂さんの家。いまや、どこらへんにあったのかすらもわからないほどに、周辺の景観も変わってしまっている。「清水よ、ションベンなら、そこでしろ」と、『海の聖母』の詩人が指さしたあのちっぽけな庭も毀たれたのだ。「俳句研究年鑑・2001」所載。(清水哲男)


June 2262002

 向日葵の月に遊ぶや漁師達

                           前田普羅

語は「向日葵」で夏。若き日に、大正初期の九十九里浜で詠んだ句。ここは昔からイワシ漁の盛んな土地で、明治以後、二隻の船が沖合いでイワシ網を巻く揚繰(あぐり)網が取り入れられたが、砂浜に漁船を出し入れするのに多大の人力を要した。集落をあげて船を押し出す仕事を「おっぺし」と言い、1950年代までつづいたという。老若男女、みんなが働いていた時代だった。そんな労働から解放されて、集落全体にやすらぎの時が戻ってきた月夜に、なお元気な「漁師達」が浜で遊んでいる。酒でも酌み交わしているのか。「向日葵の月」とは、月光に照らされた向日葵が、また小さな月そのものでもあるかのように見えているということだろう。この措辞によって、現実の世界が幻想的なそれに切り替わっている。加藤まさおが書いた童謡「月の砂漠」の発想を得たのも九十九里浜だったそうだが、見渡すかぎりの砂浜と海にかかる月は、さぞや見事であるにちがいない。月と向日葵と漁師達。その光と影が力強い抒情を生んで、詠む者の胸に焼き付けられる。少年期の普羅はしばしば九十九里浜に遊んでおり、愛着の深い土地であった。臨終の床で「月出でゝかくかく照らす月見草」と詠み、死んだ。『定本普羅句集』(1972)所収。(清水哲男)


June 2162002

 自転車の少女把手より胡瓜立て

                           川崎展宏

語は「胡瓜(きゅうり)」で夏。「杭州五句」のうち、つまり中国旅行でのスケッチ句だ。自転車を走らせている少女が、片手に「把手(はしゅ)」(ハンドルの握り手)といっしょに胡瓜を一本「立て」て握っていた。噛りながら、走っているのだろう。ただそれだけのことながら、さっそうとして元気な異国の女の子の姿が浮かんでくる。句に、清々しい風が吹いている。そのまんま句の典型だけれど、よく撮れているスナップ写真と同じで、対象にピントがちゃんと合っているのだ。そのまんま句の難しさは、このピント合わせにある。ただ闇雲にそのまんまを詠んでも、ごたごたするばかり。失礼ながら、多くの旅行(とくに海外旅行)句のつまらなさは、季節感や生活感の違いなどということよりも、このごたごたに原因がある。あれもこれもと目移りがして、ピントがぼけてしまうのだ。詰め込みすぎるのである。人情としてはわかるけれど、句としてはわからなくなる。掲句のように、一見、なあんだと思われるくらいに焦点を絞り込むことが肝要だろう。偉そうに書いているが、たまに旅先で詠んだ拙作を読み返してみると、やはりほとんどが哀れにもごたついている。すなわち本日は、まっさきに自戒をこめての物言いなのでした。『観音』(1982)所収。(清水哲男)




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