さあ、ワールド・カップだ。タイガース、がんばれ(!?)。今月は試合数が少ないけど。




2002ソスN6ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0162002

 モンローの忘れ睫の美女柳

                           杉本京子

美女柳
語は「美女柳(びじょやなぎ)」で夏。正式名は「未央柳(びようやなぎ)」だが、転じて「美容柳」となり、また転じて「美女柳」となった。我が家の近所にもあって、黄色い花を枝先に開き、たくさんの雄しべが花弁の外に金糸の穂のように伸びている姿が美しい。その金糸の穂を指して、作者は「(マリリン・)モンロー」の「睫(まつげ)」に見立てている。「忘れ睫」は造語だろうが、たとえば「忘れ花」「忘れ霜」と同じ用法。忘れていたものが蘇ってきたということで、美女柳を見てモンローが蘇ってきたというわけだ。言われてみれば、なるほどね。少しカールのかかった雄しべの様子は、女性の長い睫のように見えてくる。それも、付け睫でしょう。こんな派手というか豪奢な付け睫が似合うのは、いろいろな女優を思い浮かべてみても、モンロー以外にはいないような気がする。身体のすべての造作が派手で、目立つ人だった。なお、今日6月1日は彼女の誕生日。それにしても、美女柳からモンローの睫を連想する想像力は、女性ならでは……。男だと、とてもモンローの睫にまでは思いがいたらない。女性が同性を意識して見る所と、男が異性を見る所とではかなり違うようだ。日常的に化粧をする性と化粧しない性との差異は、こんなところにもひょっこり顔を出してくる。面白いものです。私がはじめてモンロー映画を見たのは、忘れもしない「福生セントラル」での『ナイアガラ』だった。例のモンロー・ウォークに圧倒されて、とてもじゃないが睫までは意識が届くどころではなかった。いま見ても……きっとそうでしょう。写真は、鈴木志郎康さん撮影(1998年6月8日付「曲腰徒歩新聞」)。『赤富士』(2002)所収。(清水哲男)


May 3152002

 雷落ちて八十年を顧る

                           後藤夜半

語は「雷(らい)」。日本海側では冬にも多いが、全国的には夏に最も多いことから、夏季としている。句は、落雷後の束の間に働いた心の動きをそのまま述べている。よほど近くに落ちたのだろう。有無を言わせぬ雷鳴と轟音で、その後しばらくの間は、頭のなかが真っ白になった感じがする。助かってよかっただとか、どこに落ちたのだろうなどと思う以前に、限りなく一瞬に近い束の間の空白が生じる。その空白のなかで、作者は「八十年を顧(かえり)」みたと言う。むろん、束の間のことだから、長く生きてきた人生のあれこれのことを具体的に回想できたわけではない。瞬間、何かがさあっと頭のなかを通り過ぎていった。それが自分の歴史からは抜き難いエッセンスだったような気がして、「八十年を顧る」と書き留めたのである。したがって、掲句には顧みた感慨は何も含まれていない。「夢のごとし」のような諦観もない。ただ、自然に心がそう働いたことへの不思議な充実感を述べている。人は死ぬときに、一生のことを走馬灯のように思い出すものだとは、よく聞く話だ。死んだことがないのでわからないけれど、死に際の回想も、もしかすると句のような性質のものかもしれない。と、これはついでに思えたことである。遺句集『底紅』(1978)所収。(清水哲男)


May 3052002

 香水や優柔不断盾として

                           佐藤博美

語は「香水」で夏。身だしなみを整え、これから外出するところ。でも、心弾む外出ではない。先方では難題が待ち受けていて、何らかの態度を決めなければならないのだ。どう応接すべきか。いくら思案しても、どうしたらよいのか結論が出ない。決めかねたままに、外出の時間が迫ってきた。で、仕上げの香をしのばせながら思い決めたのが「優柔不断」……。今日のところはこれを「盾(たて)」として、結論をもう少し先延ばしにするしかないだろう、と。男であれば、さしずめネクタイを締めながら心を決める場面だ。言われてみれば、優柔不断もたしかに堅牢な盾となる。香水の句で有名なのは、中村草田男の「香水の香ぞ鉄壁をなせりける」だ。この「鉄壁」の本質が、実は女性の優柔不断だったらどうだろうと思うと、草田男の生真面目さに切なさと可笑しさが同時にこみあげてくる。ところで、この句を読んであらためて気がついたのは、私は外出寸前に態度を決めることが多いということだった。難題に対してばかりではなく、気ままな遊びでのコース選びについても同様だ。目的地までのバスや電車のなかでは、なかなか考えがまとまらない。というよりも、ほとんど思考停止の状態になってしまう。変更する時間の余裕はたっぷりあっても、結局は家で決めた通りの道筋をたどることになる。すなわち、家から持ちだした盾を後生大事に抱えてしか歩けないというわけだ。なんでしょうかねえ、これって。『私』(1997)所収。(清水哲男)




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