つづく睡眠不足。何のこれしきと気張ってはみるが、若い頃のようにはいきませんです。




2002ソスN5ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1452002

 征矢ならで草矢ささりし国家かな

                           小川双々子

語は「草矢(くさや)」で夏。蘆などの葉を裂いて、指にはさんで矢のように飛ばす。退屈しのぎに「草矢うつ正倉院の巡査かな」(鳥居ひろし)などと。掲句は、さながら現代日本の政情を風刺しているかのようだ。「征矢(そや)」は実際の戦闘に用いられる矢のことだが、遊び事の草矢が何かにささることは、まずありえない。が、我らが「国家」には簡単にささってしまうのだ。ああ、何をか言わんや、ではないか。今回の中国領事館の出来事にしても然り。目の前で不可侵権を侵害されても、ただぼおっと立っているだけ。これぞ、絵に描いたような「有事」だというのに。私だったら、かなわぬまでも大声をあげ警官を押し戻そうとしただろう。事の是非を考えるよりも、とにかく身体がそのように反応しただろう。そうすれば、警官は十中八九は退いたはずだ。彼らはみな、その程度のトレーニングは受けている。かつての安保全学連で習得した一つのことは、理念の肉体化物質化だった。ただ見ていただけの外交官には、権利を防衛する意識がまったく肉体化されていない。自分が、国家の最前線に位置している自覚すらない。「同意」はしなくとも「拒絶」もしなかった。だから、たかが草矢ごときにさされてしまうのだ。外交官が武闘派である必要はまったくないが、呆然と眺めている必要もまったくない。トレーニングが足らねえなあと、テレビ映像を見て舌打ちしたことであった。そして、征矢ならばともかく草矢がささるはずなどあるものか、ささったのであれば自分でさしたのだというのが、現段階での中国側の認識である。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


May 1352002

 陽はありき十九の夏の小石川

                           佐藤鬼房

譜を見ると、作者は十九歳のとき(1938年・昭和十三年)に東京・小石川植物園の裏手に移り住み、日本電気本社の臨時工として働いた。いまでも当時の名残なのだろうか、小石川から飯田橋にかけての一帯には小さな町工場があちこちにある。青春追懐句。六十代の句と思われる。一見、リリカルな美しさを帯びた句と読めるが、なかなかに苦い味わい。四季を通じて、もっとも「陽」があって当たり前なのは「夏」なのだから、その季節に寄せてあえて「陽はありき」と詠んだところに、作者の苦しかった若き日がしのばれる。おそらくは物理的にも「陽」のあたらない下宿暮らしであり工場勤務だったのだろうし、精神的にも前途への「陽」はさして見えていなかったということだろう。しかしいま省みて思うに、物心両面での苦しさはあったけれど、そこには「十九」という若さゆえの「陽」が確かにあったのだと、しみじみと思い出している。屈折してはいるが、おのれの若き日、若き生命への賛歌だと受け取っておきたい。この句を読んで、自然に自分の十九歳のころに意識が動き、真っ暗な大学受験浪人生だったことを思い出し、しかし私にもそれなりの「陽」はあったのだと追懐した次第。ヘルマン・ヘッセじゃないけれど、はるか彼方に過ぎ去ってみて初めて「青春は美し(うるわし)」なのでした。『何處へ』(1984)所収。(清水哲男)


May 1252002

 母の日や主婦の結核みな重く

                           山本蒼洋

んという哀しい句だろう。作者は医者だろうか。たしかに、こういう時代があった。日本での結核患者は明治に入ってから増えはじめ、第二次世界大戦中にピークを迎えたという。社会の近代化に伴い、労働条件、都市環境、衛生施設、栄養面での劣悪な条件が、流行の素地となった。大家族のなかで誰よりも早く起き、一日中コマネズミのように働き、誰よりも遅くまで起きていた多くの主婦たちは、これらの条件の悪さをことごとく背負って生きていた。毎日の炊事洗濯だけでも、大変な労働だったのだ。しかも、少しくらい身体に不調を覚えても休めなかった。休養は許されなかった。これでは、とても早期発見などかなうわけがない。彼女らが医者に診てもらうのは、もはや気力を振り絞ってもどうにも身体が動かなくなってからだったので、当然のことながら病状は既に重く進行していた……。作者が医者だとしても、もはや手遅れに近い病状の主婦を前にして、おそらく言うべき言葉はなかっただろう。「何故こんなになるまでに、医者に診せなかったのか」などとは、言っても甲斐なき世の中の仕組みだったからだ。結核の流行は、社会が生みだしたものなのである。この句は、さりげない表現ながら、そんな世の中の仕組みを激しく憎んでいる。現代では、開発途上国に蔓延しているという。今日という日に結核に限らず、社会のせいで哀しい「母の日」を迎えている人たちは、世界中に数えきれないほど存在していることを忘れないようにしよう。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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