May 072002
榛名山大霞して真昼かな村上鬼城先 May 062002 夏来たる市井無頼の青眼鏡佐藤雅男暦の上とはいえ、今日から夏だと思うと、なんとはなしに心が明るくなる。その嬉しさを表現するのに、昔から詩歌ではさまざまな小道具が持ちだされてきたが、この句の「青眼鏡」は異色だ。紫外線を避けるためのサングラスは、昔は黒眼鏡が普通だった。句が作られた年代は、諸種の条件を絞り込んでいくと戦後であり、いちばん新しくても1960年代半ばころかと思われる。このころに黒眼鏡ではなく「青眼鏡」をかけるとすれば、もとより実用のためではない。昔流に言えばダテ眼鏡、今風に言えばファッション・グラス。黒眼鏡だって、ダテにかけはじめる人が増えてきたのも、60年代くらいから。その頃だったろうか。美空ひばりの母親が「夜でも黒眼鏡をかけているような人とは話もしたくない」と言った相手は、野坂昭如であった。そのように、とにかく色眼鏡をかけているだけで、不良だと思われた時代があった。作者はそのことを百も承知の上で「市井無頼(しせいぶらい)」の徒を気取って街に出たのだ。青い眼鏡を通して見える風景は、裸眼で見るよりももちろん幻想的であり、それが「もう夏なんだなあ」という嬉しさを増幅してくれる。加えて、すれ違う人々が自分のことを「マトモな人間じゃないな」などと苦々しく感じているかと思えば、まるで映画の主人公にでもなったような気分で、ますます嬉しくなる。かつて、夜でも黒眼鏡をかけていた私には、このキザな男の他愛ないが、やや屈折した気持ちの昂ぶりようがよくわかる。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男) May 052002 色町にかくれ住みつつ菖蒲葺く松本たかし季語は「菖蒲葺く(しょうぶふく)」で夏。端午の節句に、家々の軒に菖蒲を挿す風習だ。いまではまず見られないが、邪気を除き火災を免れるためとされたようである。掲句には、短編小説の趣がある。何かの事情から、普通の生活者としては立ち行かなくなった。いわゆる「わけあり」の人になってしまった。「色町」は夜間こそにぎわうところだが、昼間は人通りも少なく、まず誰かが訪ねてくる心配もない。おまけに近隣に暮らす人たちは、立ち入られたくない事情のある人が多い。だから、お互いに素性などを詮索したりはしない。「かくれ住む」には絶好の場所なのである。しかし、かくれ住んでいるからといって、完全に世を捨てているわけではない。どこかに、健全な市民社会への未練が残っている。その未練が「菖蒲葺く」に端なくも露出していると、作者は詠んでいる。たまたま、昼間の色町を通りかかった際の偶見だろう。だから、その家の人が「わけあり」かどうかは、本当はわからないのだ。が、なんとなくそう感じさせられてしまうのが、色町の醸し出す風情というもの。偏見だと、目くじらを立てるほどのことでもないだろう。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)
|