休日の職場への道は半分が駐輪自転車で埋まっている。歩きにくいったらありゃしない。




2002ソスN5ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0352002

 半抽象山雀が籠出る入る

                           竹中 宏

錦の御旗
語は「山雀(やまがら)」で夏。シジュウガラ科の鳥で、鳴き声や色合いといい、なかなかに愛嬌がある。体長は15センチ弱。昔の縁日などで、よく「おみくじ引き」をやっていたのが山雀だ。まずは客が賽銭を渡すと、山雀使いのおじさんが籠をあけ、山雀に一円玉を渡す。すると小鳥はコインを銜えて参道を進み、賽銭箱に金を落とし、鈴を鳴らす。それから階段を登り、お宮の扉を開け、中からおみくじを取り出す。そしておみくじの封を開け、調べるようにクルクル回しておじさんに渡す。で、麻の実をもらうと、ちょんちょんと元の籠に戻って行く。とまあ、こんな段取りだ。見ていて、飽きない。作者も、しばらく見ていたに違いない。が、見ているうちに、山雀のあまりの正確な動きに、具象というよりも抽象的なフォルムを感じてしまった。目の前の山雀は、間違いなく具象としての存在だ。しかし、動きは抽象的と思われるほどに、きっちりと一定の動きしか見せない。そこで「半抽象」という言葉が浮かんできたのだろう。普通の国語辞典では見当たらないが、美術用語としてはごく普通に使われている。「半具象」なる言葉も、よく使われる。そういえば小鳥に限らず、人間に芸を仕込まれた動物の動きは、みなこのような「半抽象」のフォルムに集約されるのかもしれない。彼らは具象として生きながら、半分は本来の複雑な身体機能を奪われ抽象化されてしまっているのだ。その芸は見飽きなかったけれど、どこかに哀れを感じたのは、そういうことだったのかと、掲句を読んでハッと胸に来るものがあった。野鳥保護法で、この「半抽象」芸も息絶えてしまったけれど。俳誌「翔臨」(2002・第43号)所載。(清水哲男)


May 0252002

 八十八夜都にこころやすからず

                           鈴木六林男

語は「八十八夜」で春。立春から数えて八十八日目にあたる日。野菜の苗は生長し、茶摘みも盛りで、養蚕は初眠に入る農家多忙の時期のはじまりだ。「八十八夜の別れ霜」と言い、この日以降は霜がないとされたので、農家の仕事はやりやすくなる。つまりは、多忙にならざるを得ない。「都(みやこ)」の人たちの行楽シーズンとはまこと正反対に、いよいよ労働に明け暮れる日々が訪れるのである。いま作者は「都」にあって、そんな田舎の八十八夜あたりの情景を思い出しているのだろう。作者が食わんがために都会に出てきたのか、あるいは学問をするために上京してきたのか。それは、知らない。知らないが、いずれにしても、いま都会にある作者の「こころ」はおだやかではない。都会生活を怠けているわけではないのだけれど、どこか心が疼いてくる。家族や友人などが汗水垂らして働いているというのに、自分ひとりはのほほんと過ごしているような後ろめたさの故だ。都会人の大半は田舎者であり、それぞれの故郷がある。その故郷には、苦しい労働の日々がある。昔は、とくにそんなだった。かつての田舎出の都会生活者が、再三この種のコンプレックスに悩まされたであろうことは、容易に想像できる。農村を離れてもう半世紀も過ぎようかという私にしてからが、ついにこのコンプレックスからは離れられないままだ。たまの同窓会で農家を継いだ友人たちに会うと、あれほど百姓仕事がイヤだったにもかかわらず「みんな偉いなあ」「申し訳ないなあ」と小さくなってしまう。「詩を作るより田を作れ」。作者には轟音のように、この箴言が響いているのだと思われた。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 0152002

 磯に遊べリメーデーくずれの若者たち

                           草間時彦

語は「メーデー」で春。労働者の祭典だ。1958年(昭和三十三年)の句。私はこの年に大学に入り、多くの同級生がデモ行進に参加したが、私は行かなかった。いまと違って当時の行進は、あちこちで警官隊と小競り合いを起こす戦闘的なデモだったので、二の足を踏んでしまったわけだ。皇居前広場の「血のメーデー」事件から、六年しか経っていない。句に登場する若者たちは、デモに参加した後で、屈託なくも「磯遊び」に興じている。近所の工場労働者だろう。メーデーに参加すれば出勤扱いとなるので、午前中の行進が終われば後の時間はヒマになる。おそらく、ビアホールなどに繰り出す金もないのだろう。赤い鉢巻姿のままで磯に来て、無邪気にふざけあっている。ほえましいような哀しいような情景だ。この年は、年明けから教師の勤務評定反対闘争が全国的に吹き荒れ、岸信介内閣のきな臭い政策が用心深く布石され、しかも日本全体がまだ貧乏だったから、人々の気持ちはどこか荒れていた。鬱屈していた。「メーデーくずれ」の「くずれ」には、メーデーの隊列から抜け出てきたという物理的な意味もあるが、「若者よ、もっと真面目に今日という日を考えろ。未来を担う君らが、こんなところで何をやっているのか」という作者の内心の苛立ちも含められている。苛立っても、しかし、どうにもらぬ。「そう言うお前こそ、何をやってるんだ」。そんな作者の自嘲的な自問自答が聞こえてきそうな、苦い味のする句だ。『中年』(1965)所収。(清水哲男)




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