吉祥寺音楽祭。街を歩いていると、どこからか風に乗って生演奏の音が聞こえてくる。




2002ソスN5ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0252002

 八十八夜都にこころやすからず

                           鈴木六林男

語は「八十八夜」で春。立春から数えて八十八日目にあたる日。野菜の苗は生長し、茶摘みも盛りで、養蚕は初眠に入る農家多忙の時期のはじまりだ。「八十八夜の別れ霜」と言い、この日以降は霜がないとされたので、農家の仕事はやりやすくなる。つまりは、多忙にならざるを得ない。「都(みやこ)」の人たちの行楽シーズンとはまこと正反対に、いよいよ労働に明け暮れる日々が訪れるのである。いま作者は「都」にあって、そんな田舎の八十八夜あたりの情景を思い出しているのだろう。作者が食わんがために都会に出てきたのか、あるいは学問をするために上京してきたのか。それは、知らない。知らないが、いずれにしても、いま都会にある作者の「こころ」はおだやかではない。都会生活を怠けているわけではないのだけれど、どこか心が疼いてくる。家族や友人などが汗水垂らして働いているというのに、自分ひとりはのほほんと過ごしているような後ろめたさの故だ。都会人の大半は田舎者であり、それぞれの故郷がある。その故郷には、苦しい労働の日々がある。昔は、とくにそんなだった。かつての田舎出の都会生活者が、再三この種のコンプレックスに悩まされたであろうことは、容易に想像できる。農村を離れてもう半世紀も過ぎようかという私にしてからが、ついにこのコンプレックスからは離れられないままだ。たまの同窓会で農家を継いだ友人たちに会うと、あれほど百姓仕事がイヤだったにもかかわらず「みんな偉いなあ」「申し訳ないなあ」と小さくなってしまう。「詩を作るより田を作れ」。作者には轟音のように、この箴言が響いているのだと思われた。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 0152002

 磯に遊べリメーデーくずれの若者たち

                           草間時彦

語は「メーデー」で春。労働者の祭典だ。1958年(昭和三十三年)の句。私はこの年に大学に入り、多くの同級生がデモ行進に参加したが、私は行かなかった。いまと違って当時の行進は、あちこちで警官隊と小競り合いを起こす戦闘的なデモだったので、二の足を踏んでしまったわけだ。皇居前広場の「血のメーデー」事件から、六年しか経っていない。句に登場する若者たちは、デモに参加した後で、屈託なくも「磯遊び」に興じている。近所の工場労働者だろう。メーデーに参加すれば出勤扱いとなるので、午前中の行進が終われば後の時間はヒマになる。おそらく、ビアホールなどに繰り出す金もないのだろう。赤い鉢巻姿のままで磯に来て、無邪気にふざけあっている。ほえましいような哀しいような情景だ。この年は、年明けから教師の勤務評定反対闘争が全国的に吹き荒れ、岸信介内閣のきな臭い政策が用心深く布石され、しかも日本全体がまだ貧乏だったから、人々の気持ちはどこか荒れていた。鬱屈していた。「メーデーくずれ」の「くずれ」には、メーデーの隊列から抜け出てきたという物理的な意味もあるが、「若者よ、もっと真面目に今日という日を考えろ。未来を担う君らが、こんなところで何をやっているのか」という作者の内心の苛立ちも含められている。苛立っても、しかし、どうにもらぬ。「そう言うお前こそ、何をやってるんだ」。そんな作者の自嘲的な自問自答が聞こえてきそうな、苦い味のする句だ。『中年』(1965)所収。(清水哲男)


April 3042002

 落球と藤の長さを思いけり

                           あざ蓉子

語は「藤」で春。作者は、意表を突く取り合わせを得意とする。したがって、あまり句の意味や理屈を考えないほうがよい。作者のなかで感覚的にパッとひらめいたイメージを、楽しめるかどうか。そこが、読者のポイントとなる。はじめ私は「落球」を、フライを捕りそこなってポロリとやるプレーのことかと読んで、どうにもイメージが結ばなかった。野球好きの人ならたいていそう読んでしまうと思うけれど、そうではなくて、単に落下してくる球のことと素直に読めばよいのだと気がついた。上空に打ち上げられた球が、すうっと落下してくる。その軌跡を、まるで長く垂れ下がった「藤」蔓のようだと「思いけり」ということだろう。一個の落球は一つの軌跡しか描かないが、野球場ではたくさんの飛球が上がるから、それらが落下してくる残像をいちどきに思い出すと、さながら天の藤棚からたくさんの蔓が流れ落ちているようにイメージされる。それも一試合の残像ではなく、何十何百のゲームのそれを想起すれば、まことに豪華絢爛な像を思い浮かべることもできる。作者がそこまでは言っていないとしても、私のなかではそんなふうに幻の藤蔓がどんどん増殖していって、大いに楽しめた。俳誌「花組」[第57回現代俳句協会賞受賞作品50句](2002年春号)所載。(清水哲男)




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