四月尽。週末は群馬へ、来週末は久留米へ。出不精な私としては東奔西走の五月が来る。




2002N430句(前日までの二句を含む)

April 3042002

 落球と藤の長さを思いけり

                           あざ蓉子

語は「藤」で春。作者は、意表を突く取り合わせを得意とする。したがって、あまり句の意味や理屈を考えないほうがよい。作者のなかで感覚的にパッとひらめいたイメージを、楽しめるかどうか。そこが、読者のポイントとなる。はじめ私は「落球」を、フライを捕りそこなってポロリとやるプレーのことかと読んで、どうにもイメージが結ばなかった。野球好きの人ならたいていそう読んでしまうと思うけれど、そうではなくて、単に落下してくる球のことと素直に読めばよいのだと気がついた。上空に打ち上げられた球が、すうっと落下してくる。その軌跡を、まるで長く垂れ下がった「藤」蔓のようだと「思いけり」ということだろう。一個の落球は一つの軌跡しか描かないが、野球場ではたくさんの飛球が上がるから、それらが落下してくる残像をいちどきに思い出すと、さながら天の藤棚からたくさんの蔓が流れ落ちているようにイメージされる。それも一試合の残像ではなく、何十何百のゲームのそれを想起すれば、まことに豪華絢爛な像を思い浮かべることもできる。作者がそこまでは言っていないとしても、私のなかではそんなふうに幻の藤蔓がどんどん増殖していって、大いに楽しめた。俳誌「花組」[第57回現代俳句協会賞受賞作品50句](2002年春号)所載。(清水哲男)


April 2942002

 小説に赤と黒あり金魚にも

                           粟津松彩子

語は「金魚」で夏。金魚は一年中いるけれど、夏になると涼しげな気分をそそるからだろう。はっはっは、思わず愉快な気分になってしまった。『赤と黒』は、言わずと知れたスタンダールの「小説」だ。1830年代、混乱期のフランスの一地方とパリを舞台に、田舎出の青年ジュリアン・ソレルの恋と野望の遍歴を描いている。学生時代に読んだので、朦朧たる記憶しかないけれど、どこが名作なのか、よくわからなかったことだけははっきりと覚えている。映画化もされたが、見たような見なかったような……。そんなわけで、多分作者も若い頃に読むには読んだが、さして感心しなかったのだろうと思われた。「赤と黒」だなんて、「金魚」だってそうじゃないか。ふん。てな、ところかな。落語や漫才の世界に通じる軽い諧謔味があり、俳句でなければ出せない面白味がある。松彩子は京都の人で、虚子門。なにしろ十八歳(1930年)で「ホトトギス」に初入選して以来、卒寿(九十歳)を過ぎた今日まで、一度も投句を欠かさなかったというのだから、まさに俳句の鬼みたいな人物だ。長続きした背景には、このような軽い調子の句を受け入れ続けた「ホトトギス」の懐の深さがあったればこそのことではあるまいか。といって、句集の句がすべてこのような彩りなのではない。むしろ、掲句は傍系に属する。その内に、おいおい紹介していくことにしたい。なんだか今日は、とてもよい気分だ。『あめつち』(2002・天満書房)所収。(清水哲男)


April 2842002

 矢車に朝風強き幟かな

                           内藤鳴雪

語は「幟(のぼり)」と「矢車」で夏。幟は正確には鯉幟ではなく、端午の節句に立てる布製の幟のこと。古くは戦場に見られた旗指物の類だが、この句の場合は、上に矢車があるので、鯉幟だろう。掲句を採り上げたのは、他でもない。古来鯉幟の句は数あれど、全部が全部と言っていいほどに、自宅のそれを詠んではいない。みんな、望見し傍見している。その意味でこの句は、自分の家の鯉幟だと思ったからだ。珍しいのである。カメラ用語で言えば、接写に感じられる。早朝に、鯉幟を我が手であげた者ならではの感慨であり、風の強さに対する気の使いようがよく出ている。鯉幟をあげる人の気持ちも、さながら旗指物をかかげて突進した武士のように、ただあげるだけで気持ちが昂ぶる。まもなくメーデーがやって来るけれど、あのデモ行進のなかで旗をかかげて歩く人の気持ちも、かかげた人でないとわかるまい。「旗手」という特別な言葉があるくらいで、何かをかかげて衆目を集める(たとえ当人だけが、その気になっていても)という振る舞いは、誇らかであり、しかし、余人には知れぬ気遣いを強いられる。句の風は、鯉幟を泳がせるには、やや強すぎる。ほどよくカラカラと回る矢車ではなく、いささか異常な音を立てていたのではあるまいか。されど、天気晴朗。何とかもってくれるだろうと、作者は強風にはためく鯉幟を仰いでいる。誇らしくもあり、少し不安でもあり……。朝から元気よく泳いでいる鯉幟への賛歌ともとれるが、あげる人の気持ちを斟酌して、あえてこのように読んでみた次第だ。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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