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April 1642002

 晩春をヌード気分のマヨネーズ

                           小枝恵美子

もようやくたけなわを過ぎ、どこか気だるいような雰囲気のなかで、卓上に「マヨネーズ」の入ったポリ容器が立っている。「ヌード」は単なる裸体を言うのではなく、そこに審美的要素が絡む概念だ。流線型の容器の形といい、薄く透けて見える卵黄色といい、たしかになまめかしい感じがする。この句のよさは、おそらくは誰しもが何となく感じているマヨネーズのなまめかしさを、ずばりヌードと言い切ったところにある。さらにマヨネーズを擬人化して、マヨネーズが勝手にそんな「気分」になっているのだと思うと、可笑しくも可愛らしい。もしも、句のマヨネーズにキューピー人形のマークが付いていたとしたら、もっと可笑しいだろうな。なまめかしさとは無縁のキューピーちゃんが、一所懸命大人ぶっている図には微笑を禁じえない。あれはメーカーがマヨネーズを健全なる家庭に普及さすべく、なるべく本体のなまめかしさを打ち消すために採用した苦心のキャラクターではあるまいか。感覚そのままに成人女性のヌードでは具合が悪いし、かといって、あまりにも違うイメージではもっと具合が悪いし……。と、そんなことまで考えてしまった。ところで、いまでこそどこの家庭にもあるマヨネーズだが、四十年前くらいまではなかなか受け入れられなかったようだ。全国マヨネーズ協会の調査によれば、一人当たりの年間消費量は、1960年度でたったの151グラム。それが2000年では1895グラムと、10倍以上に跳ね上がっている。少年時代の私は、マヨネーズの存在すら知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)


April 3042008

 真実の口に入れたし春の恋

                           立川志らく

ーマにある、あの「真実の口」である。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の柱廊にあって、今や観光スポットの一つ。一見無気味な海神トリトーネの顔が口をあけていて、そこへ手を突っこむ。「ウソつきは噛まれる」という愉快な言い伝えがある。私も旅行した際、右手を突っこんだが、幸い噛まれなかった。噛まれなかったことも含めて、その時の私の印象は「がっかり」の一言。ローマ時代の下水溝の蓋だったという説がある。ま、どうでもよろしい。掲出句は恋人同士で手を入れたわけではない。「入れたし」だからまだ入れていなくて、恋人の片方が相手の「真実」をはかりかねていて、試してみたいという気持ちなのだろう。女の子同士や夫婦の観光客が、陽気に手を入れたりしているようだが、そんなのはおもしろくもない。愛をまだはかりかねていて「入れたし」という、ういういしい恋人同士だからスリリングなのだ。しかも、ここは「春の恋」だから、あまりねっとりと重たくはない気持ちがうかがわれる。「真実の口」は言うまでもなく映画「ローマの休日」で有名になってしまった。志らくは映画監督と劇団員の合同句会を毎月開催していて、その宗匠。志らくの「シネマ落語」はよく知られているが、シネマ俳句も多い。「抹茶呑む姿はどこか小津気どり」「晩春や誰でもみんな原節子」などの句があり、曰く「小津は俳句になりやすいが、黒澤は俳句になりません」と。「真実の口」はミッキー・カーチスに似ている、とコメントしている。ハハハハ♪「キネマ旬報」(2008年2月上旬号)所載。(八木忠栄)




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