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2002ソスN4ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1442002

 打興じ田楽食ふや明日別る

                           大野林火

語は「田楽(でんがく)」で春。豆腐を竹の平串に刺し、あぶって水気をとってから木の芽味噌をつけ、再び火にあぶって作る。野趣があり、いかにも春らしい食べ物だ。気のおけない友人といつものように酒を飲み、「打興じ」るままに旬の「田楽」でも食おうかということになり、楽しさがなお高調してきた。と、そのときにすっと胸をよぎった「明日別る」。読み下してきて、ここで読者はぎくりとする。別れの宴だったのかと……。こういうときには、人はお互いにつとめて明るくふるまい、明るくふるまっているうちに、いつしか「明日別る」ことも忘れてしまい、いつもと同じ時間を過ごしているような気持ちになる。が、楽しければ楽しいほどに、何かちょっとしたきっかけから、実は違うのだという動かしがたい現実を思い出さされたときは、余計に辛くなる。その意味で、句の「田楽」は、二人の交遊録に欠かせない食べ物なのかもしれないと思った。木の芽味噌の山椒の味と香りが、哀しくもほろ苦く二人の別れの時を告げたのだ。ご存知かとも思うが、ついでに「田楽」の由来を付記しておく。「田植の田楽舞に、横木をつけた長い棒の上で演ずる鷺足(さぎあし)という芸がある。足の先から細い棒が出て、腰から下は白色、上衣は色変わりという取り合わせが一見、白い豆腐に変わりみそを塗った豆腐料理に感じが似ているので、この名があるという。江戸後期の川柳に『田楽は昔は目で見、今は食い』と、ある。(C)小学館」。ちなみに、冬の「おでん」は「お田楽」の呼称から「楽」が省略された田楽の応用料理だそうである。江戸期の豆腐料理の本を見ると、実にバリエーションが豊富だ。いまどきでは「豆腐ステーキ」なんてものまである。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


April 1342002

 先人は必死に春を惜しみけり

                           相生垣瓜人

多喜代子が「俳句研究」(2001年5月号)で紹介していた句。思わず吹きだしてしまった。皮肉たっぷりな句だが、しかし不思議に毒は感じられない。惜春の情などというものは自然にわき出てくるのが本来なのに、詩歌の先人たちの作品を見ていると、みな「必死に」なって行く春を惜しんでいる。どこに、そんな必要があるのか。妙なこってすなア。とまあ、そんな句意だろう。この句を読んでから、あらためて諸家の惜春の句を眺めてみると面白い。事例はいくらでもあげられるが、たとえば先人中の先人である芭蕉の句だ。『奥の細道』には載っていないけれど、同行の曽良が書き留めた句に「鐘つかぬ里は何をか春の暮」がある。旅の二日目に、室の八島(現・栃木市惣社)で詠んだ句だ。「何をか」は「何をか言はんや」などのそれで、入相の鐘(晩鐘)もつかないこの里では、何をたよりに春を惜しめばよいのかと口をとんがらかしている。だったら別に惜しまなくてもいいじゃんというのが、瓜人の立場。天下の芭蕉も、掲句の前では形無しである。はっはつは。なお「春の暮」は、いまでは春の夕暮れの意に使われるが、古くは暮春の意味だった。その点で、芭蕉の用法は曖昧模糊としている。たぶん、暮春と春夕の両者にかけられているのだろう。詠んだのが、旧暦三月二十九日であったから。(清水哲男)


April 1242002

 葉ざくらの口さみしさを酒の粕

                           安東次男

語は「葉ざくら(葉桜)」。通常では夏に分類されるが、今年は花が早かったので、いまごろの句としても違和感はない。艶を帯びた葉が美しい。句は「葉ざくらの」で切れている。この「の」がポイントで、強いて単純に言えば「の」の後に「季節」だとか「頃の気分」だとかという言葉が省略されているわけだ。が、それだけにとどまらず、同時に句全体にもかかっていると読める。「葉ざくらや」と、一度完全に切り離しても句にはなるけれど、「の」とぼかしたほうが情趣が伸びる。葉桜とは何の関係もない「口さみしさ」の淡い食欲と「酒の粕(かす)」のほのかな酒精にも、それとなくマッチしてくる。それにしても、口さみしさを癒すのに酒粕とは粋だなあ。ちょっと火に焙ってから、ちょっと千切って口にしている。私だったらせいぜいが飴玉どまりだから、とても句にはなりそうもない。たとえ家に酒粕があったとしても、こういうときに食べようとは思いも及ばないだろう。句が作者の実際を詠んだかどうかは二の次なのであって、この取りあわせと先の「の」とが微妙に照応しあい、いまだ春愁を引きずっているような初夏の気分が鮮やかに出た。ご存知の読者も多いと思うが、作者はつい先ごろ(4月9日)他界された。享年八十二。合掌。『流』(1996・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)




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