入学。私は国民学校「一年一組」。上の世代は「松」「竹」「梅」組。いまは…?。




2002ソスN4ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0842002

 書道部が墨擦つてゐる雨水かな

                           大串 章

誌の月号表示を追い越すように、季節がどんどん進んでいく今日この頃、ならばと時計を二ヶ月ほど逆回転させても罰は当たるまい。季語は「雨水(うすい)」で春。根本順吉の解説を借用する。「二十四節気の一つ。陰暦正月のなかで、立春後15日、新暦では2月18、19日にあたる。「雨水とは「気雪散じて水と為る也」(『群書類従』第19輯『暦林問答集・上』)といわれるように、雪が雨に変わり、氷が融けて水になるという意味である」。早春の、まだひんやりとした部室だ。正座して、黙々と墨を擦っている数少ない部員たちがいる。いつもの何でもない情景ではあるのだが、今日が雨水かと思えば、ひとりでに感慨がわいてくる。表では、実際に雨が降っているのかもしれない。厳しい寒さがようやく遠のき、硯の水もやわらかく感じられ、降っているとすれば、天からの水もやわらかい。このやわらかい感触とイメージが、部員たちの真剣な姿に墨痕のように滲み重なっていて美しい。句には派手さも衒いもないけれど、まことに「青春は麗し」ではないか。こうしたことを詠ませると、作者と私が友人であるがための身贔屓もなにもなく、大串章は当代一流の俳人だと思っている。「書道部」と「雨水」の取りあわせ……。うめえもんだなア。まいったね。俳誌「百鳥」(2002年4月号)所載。(清水哲男)


April 0742002

 あんずの花かげに君も跼むか

                           室生犀星

語は「あんず(杏)の花」で春。梅の花に似ており、梅のあとに咲く。主産地が東北甲信越地方なので、雪国に春を告げる花の一つだ。金沢出身の犀星は、ことにこの花を愛した。「あんずよ/花着(つ)け/地ぞ早やに輝け/あんずよ花着け/あんずよ燃えよ/ああ あんずよ花着け」(「小景異情」その六)。掲句は、瀧井孝作の結婚に際して書き送った祝句。俳句というよりもすっかり一行詩の趣だけれど、日記に「瀧井君に送りし俳句一つ、結婚せるごとし」とある。後に「邪道」と退けてはいるが、碧梧桐の自由律俳句に共感を覚えていた頃の、当人にしてみればれっきとした「俳句」なのである。瀧井孝作もまた、碧梧桐の濃い影響下にあった。さて、掲句。「あんずの花」で、新妻の清楚な美しさを言っている。その「花かげ」に、ようやく「君も」まるで幼い人のように「跼(かが)む」ことができるようになったんだね、よかったね……。犀星も孝作も、幼いころから苦労の連続する境遇にあった。したがって作者は、妻という存在をどこか母親のようにも感じるところがあり、それを率直にいま「君」に伝える。いまの「君」ならば、きっと同じ気持ちになっていることだろう。おめでとう。そういう句意だろう。日記の「結婚せるごとし」からすれば、二人はさして親密な関係になかったように思われるかもしれないが、こういうことには世間的な事情がいろいろと絡みつく。風の便りに結婚と聞いて、いちはやく句を送ったところに、犀星の溢れる友情が示されている。句の中身もさることながら、私には二人の友情の厚さが強く響いてきて、余計にほろりとさせられた。北国のみなさん、杏の花は咲いてますか。『室生犀星全集』(新潮社)などに所収。(清水哲男)


April 0642002

 入学児脱ぎちらしたる汗稚く

                           飯田龍太

て、週明けの八日月曜日には、多くの小学校で入学式が行われる。人生でいちばん誰もが学校好きであるのは、この時期の子供らだ。つい最近、福田甲子雄氏から、労作『蛇笏・龍太の山河』(山梨日日新聞社)をご恵贈いただいた。むろん当方は福田さんの作品を存じ上げているのだが、一度もお目にかかったことはない。しかし、当歳時記の存在をご存知の上でのことだろうと思った。ありがたいことです。副題に「四季の一句」とあるように、長い間師事された蛇笏と龍太の句を十二ヶ月に分類して、一句ずつに短い鑑賞文をつけておられる。掲句の観賞は、次のようだ。「近ごろ小学校の入学式は四月一日と限らないようだが、この句の時代は一日と決まっていた。入学児童が家に帰り早速、服やズボンを脱ぎちらし解放感を味わう。その衣服から幼い汗の匂い。『稚く(わかく)』の把握に感性の資質を見る。昭和26年作」。忘れていた。となれば、私の戦時中の入学も四月一日だったのか。覚えているのは、校庭で記念の集合写真を撮るときに、机だったか椅子だったか、その上に乗ったときにグラグラして「いやだなあ」と思ったことだけだ。それはともかく、子供の汗の匂いで入学を寿ぐ作者の気持ちは、素直に受け止められる。誰も書かなかったことだけれど、むしろ人の親ならば誰しもが実感する嬉しい気分だと思う。それをこのように表現するか、どうか。なるほど「感性の資質」から出たと言うしかない句かもしれない。(清水哲男)




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