♪春爛漫の花の色 紫匂ふ雲間より……。亡くなった詩友・佃學に習った一高寮歌。




2002ソスN3ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1932002

 遅日かな亡き父に啼く鳩時計

                           沼尻巳津子

鳩時計
語は「遅日(ちじつ)」で春。春の日が遅々として暮れかねること。日永(ひなが)と同じだが、日暮れの遅くなるところにポイントが置かれている。したがって、掲句の時刻は夕刻五時くらいか。五時といえば、つい先ごろまでは暗かったのに、まだこんなに明るい。確かめるように、作者は「鳩時計」を振り仰ぐ。子供のときから親しんできた時計だ。そういえば、買ってきたのも、錘(通称「松の実」)を引っ張ってゼンマイを巻いていたのも、いつも父親だった。ふと元気なころの「亡き父」の姿が思い出され、あの鳩はいつだってご主人様たる父親に向けて啼いていたのだし、今でもそうなのだと、その健気さが哀れにも愛(いと)しくも感じられるという句意だろう。これまた、春愁。明るくも暗くも聞こえる鳩時計の音色ゆえに、句は微妙な陰影を帯びている。ところで鳩時計といえば、私のいちばん好きな映画『第三の男』に、オーソン・ウェルズが旧友役のジョセフ・コットンに、こう言って決別を告げるシーンがあった。 "You know what the fellow said: in Italy, for 30 years under the Borgias, they had warfare, terror, murder, bloodshed-- and they produced Michelangelo, Leonardo da Vinci and the Renaissance. In Switzerland they had brotherly love, 500 years of democracy and peace. And what did that produce? The cuckoo clock. So long, Holly." いまでも心に染み入りますね、このセリフ。映画好きの川本三郎さんが、ひところ宴会芸の得意としてました。ちなみに、鳩時計発祥の地は18世紀のスイス国境に近いドイツです。『背守紋』(1989)所収。(清水哲男)


March 1832002

 菜の花や渡しに近き草野球

                           三好達治

製印象派絵画の趣あり。色と光りと音の交響詩だ。「渡し」は渡し舟の発着する所、いわゆる渡船場(とせんば)である。江戸川の矢切の渡しなどが有名だが、昔は全国いたるところで見受けられた。群生する「菜の花」の黄色と、渡船場の水のきらめき。加えて「草野球」に興ずる人たちの大声や打撃する音。上天気の春の情景を、作者は上機嫌で伝えている。いささか道具立てが揃いすぎている感じもするが、すべてが澄んでいるので嫌みがない。そして、この詩趣に透明な哀しみのフィルターをかけてやれば、たちまちにして三好達治の詩の世界に入ることができる。たとえば「母よ――/淡くかなしきもののふるなり/紫陽花いろのもののふるなり/はてしなき並樹のかげを/そうそうと風のふくなり」(「乳母車」)。あらためて両者を読み比べてみると、詩人がいかに色と光りと音の捉え方に秀でていたかが、よくわかる。とかく詩人の俳句は、たくさんの事柄を詰め込もうとして失敗することが多いのだけれど、掲句もまたたくさんの事柄が詰め込まれているのだけれど、失敗していない理由は、この感覚に拠るものだ。決して、ゴテゴテと塗りたくらないのである。これはもう、天性の感覚というしかないだろう。『柿の花』(1976)所収。(清水哲男)


March 1732002

 みちのくの淋代の浜若布寄す

                           山口青邨

語は「若布(わかめ)」で春。日本独特の海草で、北海道東海岸を除き全国的に分布している。「淋代(さびしろ)」は青森県三沢市に属するが、命名の由来は知らねども、なんという淋しげな地名なのだろう。地名だけで、北国の荒涼とした寒村を彷彿させる。その淋代のひっそりとした浜辺には、浅瀬に若布が揺らいでいるばかり。北国に遅い春がやっと到来したのだけれど、光りの明るさゆえになおさら寂寥感が募るという趣だ。ところで、戦前の淋代の浜は、イワシの地引網で大いににぎわったという。それに、飛行機ファンならご存知のように、ここは航空機史上では名高い土地なのである。1931年(昭和六年)アメリカのハーンドン、パングボーン両飛行士による最初の太平洋無着陸横断飛行の出発点となったところだからだ。二人の飛行機野郎は、単葉機「ミス・ヴィードル号」の荷重を軽くするために、飛び立つとすぐに海に車輪を投げ捨てた。胴体着陸覚悟の決死行だ。そして41時間13分後に、シアトル東方のワシントン州ウェナッチ飛行場に無事着陸。冒険は成功した。作者は、こうした史実を承知して詠んでいるはずだ。すなわち「つわものどもが夢の跡」と。しかし、こうしたことを知らなくても、掲句は十分に観賞に耐え得る。多くの歳時記が、若布の例句として掲げている所以だろう。(清水哲男)




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