東京大空襲。1945年3月9日深夜から10日未明にかけて344機のB29来襲。




2002ソスN3ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1032002

 我法学士妻文学士春の月

                           小川軽舟

集の他の句から推察して、作者が学生結婚だったことがうかがわれる。「水仙や学生妻の紅を引く」。したがって、掲句は春三月に二人そろって卒業したことへの感慨である。いや、感慨というよりも偶感と言うべきか。偶感のほうが、春の月には似つかわしい。すなわち、卒業と同時に二人とも「学士」なるものになっちゃったんだと、ふと思ったのだ。そのあたりの可笑しみ。句集の序文で藤田湘子は「近頃の青年はこうしたことをぬけぬけと言うのか」と思ったと書いているが、別に「ぬけぬけ」でも「しゃあしゃあ」でもない。「学士様ならお嫁にやろか」と言われた戦前ならばともかく、戦後のおおかたの大学卒業者には、おのれが学士であるなどと認識している人のほうが珍しいだろう。日本で学士制度が現れるのは1872年(明治五年)の学制からで、学位の一つであったが、86年(明治十九年)の帝国大学発足以後「学士」は称号となり、三年在籍を要件とした。現在の新制大学では四年在籍を履修要件とし、称号扱いである。この称号すらもが、もはや気息奄々の状況なのだから……。夫婦そろっての学士などとは、大昔ならば大変な快挙だと誉めそやされたかもしれないが……と、そんなこともちらりと頭をよぎり、作者は苦笑しているのである。作者の句に至る事情は知らなくても、掲句単体を読んで苦笑する読者も、かなりおられるのではあるまいか。『近所』(2001)所収。(清水哲男)


March 0932002

 荷造りに掛ける体重初うぐひす

                           ふけとしこ

つう俳句で「初うぐひす」といえば、新年の季語。めでたさを演出するために、飼育している鴬に照明を当てて人為的に鳴かせることを言う。が、掲句では情景からして、初音(はつね)のことと思われる。この春、はじめて聞く鴬の鳴き声だ。「初音かや忌明の文を書く窓に」(高木時子)。最近ではコンテナーや段ボール箱の普及に伴い、あまり荷造りする必要がなくなった。たぶん、作者は資源ごみとして出すために、古新聞を束ねているのではなかろうか。きちんと束ねるためには、膝で「体重」を掛けておいてから、しっかりと縛る。そんな作業の最中に、どこからか初音が聞こえてきた。「春が来たんだなあ」と嬉しくなって、もう一度ちゃんと体重を掛け直した……。体重に着目したところが、なんともユニークだ。情景が、よく見えてくる。私などがこうした情景を詠むとすれば、むしろ紐を縛る手の力に注意が行ってしまうだろう。言われてみれば、なるほど、荷造りとは体重と手の力の協同作業である。納得して、うならされました。初音で思い出したが、京都での学生時代の下宿先の住所は北区小山「初音」町。で、実家のあった東京での住所が西多摩郡多西村「草花」。優雅な地名に親しかったにしては、いまひとつ風流心に欠けている。情けなや。「ホタル通信」(2002年3月8日付・24号)所載。(清水哲男)


March 0832002

 桜餅三つ食ひ無頼めきにけり

                           皆川盤水

語は「桜餅」で春。餅を包んだ塩漬けの桜の葉の芳香が楽しい。さて、気になる句だ。桜餅を三つ食べたくらいで、何故「無頼」めいた気持ちになったりするのだろうか。現に虚子には「三つ食へば葉三片や桜餅」があり、センセイすこぶるご機嫌である。無頼などというすさんだ心持ちは、どこにも感じられない。しかし、掲句の作者はいささか無法なことをしでかしたようだと言っているのだから、信じないわけにはいかない。うーむ。そこで両句をつらつら眺めてみるに、共通する言葉は「三つ」である。これをキーに、解けないだろうかと次のように考えてみた。一般にお茶うけとして客に和菓子を出すときには、三つとか五つとか奇数個を添えるのが作法とされる。したがって、作者の前にも三個の桜餅が出されたのだろう。一つ食べたらとても美味だったので、たてつづけに残りの二個もぺろりとたいらげてしまった。おそらく、この「ぺろり」がいけなかったようだ。他の客や主人の皿には、まだ残っている。作者のそれには虚子の場合と同じように、三片(葉を二枚用いる製法もあるから、六片かも)の葉があるだけだ。このときに、残された葉は狼藉の跡である。と、作者には思えたのだろう。だから、美味につられてつつましさを忘れてしまった自分に「無頼」を感じざるを得なかったのだ。女性とは違って、たいていの男は甘党ではない。日頃甘いものを食べる習慣がないので、ゆっくりと味わいながら食べる作法もコツも知らない。しかるがゆえの悲劇(!?)なのではなかろうか。『随處』(1994)所収。(清水哲男)




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