デザイン的な興味から、よくファッション誌を見る。PR誌「花椿」は昔から凄い。




2002N225句(前日までの二句を含む)

February 2522002

 春星へ電光ニュースのぼりゆく

                           浦川聡子

の星は、やわらかい夜気に潤んだように見える。対するに、「電光ニュース」の光る文字はくっきりと鮮やかだ。それが上へ上へとのぼってゆき、次から次へと消えていってしまう。断ち消えると言うべきか。一方、上空の星はといえば、ぼおっとしているけれど、いつまでもしずかに灯っている。この対比への着目が面白い。と同時に、句の上へ上へとのぼってゆく意識は、ものみな上昇志向を帯びてくる春という季節にぴったりだと思った。春は、万物が上を向く季節なのである。そういえば、坂本九の歌に「上を向いて歩こう」があった。春の歌だ。この歌のように、ものみな上を向く季節であるがゆえに、逆に精神的には下を向くことにもなったりするのである。ひとり取り残されたような孤独感に襲われたりする。昔から春愁などと言い、人間はまことに複雑怪奇な生き物だ。したがって、句の情緒的な受け取りようは、さまざまに別れるだろう。ところで、電光ニュースの一文字は、200個ほどの白熱灯(20-30ワット)で表示されている。パソコンで言えば、素朴なドット文字や絵のそれと同じだ。最近のウエブデザイナーの世界では、このドット表示が見直されているらしい。光りを組みあわせて文字や絵を表示しようというとき、方法的にはともかく、原理的には誰もが思いつく方法だ。が、原点には原点にしかないパワーがあり情熱があり、しかるがゆえの魅力があるということ。『クロイツェル・ソナタ』(1995)所収。(清水哲男)


February 2422002

 波羅蜜多体育館にしやぼん玉

                           摂津幸彦

語は「しやぼん玉(石鹸玉)」で春。いかにも春らしい景物だ。「波羅蜜多(はらみった)」は仏教用語、「波羅蜜」とも言う。「宗教理想を実現するための実践修行。完成・熟達・通暁の意であるが、現実界(生死輪廻)の此岸から理想界(涅槃・ねはん)の彼岸に到達すると解釈して、到彼岸・度彼岸・度と漢訳する。特に大乗仏教で菩薩の修行法として強調される。通常、布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定・智慧の六波羅蜜を立てるが、十波羅蜜を立てることもある [広辞苑第五版] 」。さて、私などはいい加減に「体育館」と付きあっただけだが、考えてみれば、あそこもまた心身の修業道場である。運動能力の高い友人たちは、みな真剣にトレーニングに励んでいた。何が面白くて、そんなに苦しい練習を繰り返しているのか。半ば冷笑していたけれど、彼らには波羅蜜多の苦しさと同時に恍惚の境地もあったようだと、今にして思われる。そんな修業の場に、開け放った窓からふわりふわりと「しやぼん玉」が舞い込んできた。こちらは、難行苦行などとは無縁の気楽そうな軽さで浮遊している。作者は、まずはこの対比ににやりとしたはずだ。だが、待てよ。波羅蜜多の人は、まだ彼岸への過程に遠くあるわけで、一方の軽々と浮遊する物体は、ほとんど彼岸に到達しようとしているのではなかろうか。どちらが完成熟達の域にあるのかといえば、誰が見てもしやぼん玉のほうである。そして、間もなくしやぼん玉はふっと姿を消すだろう。彼岸に到達するのだ。のどかな春の日の体育館の何でもない光景も、摂津幸彦の手にかかると、かくのごとくに変貌してしまう。『鳥屋』(1986)所収。(清水哲男)


February 2322002

 紙風船突くやいつしか立ちあがり

                           村上喜代子

語は「風船」で春。明るく暖かい色彩が、いかにも春を思わせるからか。さっきまで、作者のいる部屋で子供が遊んでいたのだろう。残していった紙風船をどれどれと、ほんの手すさびのつもりで突いているうちに、だんだん本気になってきて、「いつしか立ちあが」ってしまっていた。そんな自分への微苦笑を詠んだ句だ。春ですねえ……。ところで、紙風船というといつも思うのだが、ゴム風船などよりも段違いに素敵な発明だ。密封したゴムの球に空気を入れる発想は平凡だが、紙風船の球には小さな穴が開けてあるのが凄い。突きながら穴から空気を出し入れして、空気の量を調節するように設計されている。市井の発明者に物理の知識があったわけではないだろうから、何か別のものや事象にヒントを得たのだろうか。いろいろ想像してみるのだが、見当がつかない。手元の百科事典にも、次の記述があるのみである。「紙風船は、紙手鞠(てまり)、空気玉ともいう。色紙を花びら形に切って張り合わせた球で、吹き口の小穴から息を吹き込んで丸く膨らませ、突き上げたりして遊ぶ。1891年(明治24)ごろから流行し、のちには鈴入りのものもつくられた。(C)小学館」。それにしても「空気玉」とは、またなんとも味気ない命名ですね。鈴入りのものは、子供の頃に祖母に見せられたような記憶があるけれど、いまでも売られているのだろうか。『つくづくし』(2001)所収。(清水哲男)




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