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February 1922002

 苗札のたてこんでゐる幼稚園

                           高野ゆり子

語は「苗札(なえふだ)」で春。草花や野菜の種を蒔き、その品種や蒔いた月日などを書いて立てておく木札のこと。花の絵などが印刷された種袋を、そのまま苗札にしているのもよく見かける。掲句では場所が「幼稚園」だから、年長組の子供たちが読めるように「ぱんじい」だとか「さくらそう」だとかと、大きな平仮名で書いてあるのだろう。それらが、ごちゃごちゃと「たてこんでゐる」。この「たてこんでゐる」という表現が、実によく効いているなと思った。見たまま、そのままには違いない。けれど、苗札のたてこみようが、元気な園児たちの無秩序な動きにも照応しているようでほほ笑ましい。これがたとえば小学校だったりすると、見たままではあるとしても、句の魅力はがたっと落ちてしまうだろう。とかく自分勝手な動きをする幼児たちもまた、幼稚園に「たてこんでゐる」感じがするというわけだ。少子化のあおりをまともにくって、最近の幼稚園経営は非常に苦しいと聞く。そのうちにだんだんたてこまなくなってきて、この句などは、幼稚園の良き時代を振り返る際のよすがになってしまうのかもしれない。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


April 2842006

 学やめし汝が苗札のローマ字よ

                           古島壺菫女

語は「苗札(なえふだ)」で春。畑や花壇に種を蒔いたり苗を植えたときに、品種の名前を書いた小さな木の札を立てておく。最近はあまり見かけなくなったが、小学校などの花壇や農園には健在だ。どんなふうに芽生え、どんなふうに生長するのかを待ち受け、見守っているようで微笑ましい。掲句では、その苗札がローマ字で表記されている。作者は「学やめし汝(な)」の母親か姉だろうか。「学やめし」は「学」を放棄したという意味ではなく、家庭の事情で上の学校に行くことを断念したという意味だ。いつごろの句か不明だが、まだ猫も杓子も(失礼)が高校や大学に行ける時代ではなかったころの作句だろう。当人も勉強が好きで、周囲もできることなら上級学校に行かせてやりたいと思っていたのが、そうはならなかった。進学をあきらめて、家業の農業を継いでいる。それも、継いでからはじめての春だ。そんな彼の書いた苗札の文字は、みな横文字だった。でも英語や学名ではなくて、日本語表記でも構わないところを、ローマ字で書いてあったのだ。洒落っ気からではあるまい。すなわち英語などの横文字への憧れが、彼をしてローマ字で書かしめたとしか思えない。なんという「いじらしさ」。作者はしばし、苗札のローマ字をみつめ、目を潤ませていたにちがいない。「ローマ字よ」の「よ」に、作者の複雑な思いの全てがこもる。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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