Mac OSXのUnicode装備を今日まで知らなかった。「渡辺」の"ナベ"が24種類も出るのだそうな。




2002ソスN2ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0622002

 芹の水少年すでに出で発ちぬ

                           山口和夫

語は「芹(せり)」で春。多く湿地や水中に生え、春の七草の一つである。私の田舎でも小川に生えていて、芹というと清らかな水の流れといっしょに思い出す。早春の水はまだ冷たく、その冷たさゆえに、ますます水は清く芹は鮮やかな色彩に写った。そして、その「芹の水」はいつまでも同じ様子で残り、そこに影を落としていた「少年」は「すでに」存在しないと、句は言うのである。このときに少年は作者自身のことでもあるが、他の「出で発」っていった少年をすべて含んでいる。田舎とは、いつだって少年たちが「すでに出で発ち」、彼らの残像が明滅している土地なのだ。立志や野望から、漠然たる都会への憧憬からと、今日でも出で発つ理由はさまざまだろうが、昔は圧倒的に貧困が理由だった。あるいは「醜の御楯(しこノみたて)」として戦地に出で発ち、ついに帰らない者も多かった。そんな思いで芹の水を眺めていると、我とわが身を含めて、若年にして田舎を去っていった者の心の内がしのばれる。作者は七十代。掲句は、そうした少年たちへの清冽な挽歌である。私などには、泣けとごとくに響いてくる。なお若い読者のために補足しておけば、「醜の御楯」とは「卑しい身で天皇のために楯となって外敵を防ぐ者」の意だ。『黄昏期』(2002)所収。(清水哲男)


February 0522002

 春泥に歩みあぐねし面あげぬ

                           星野立子

語は「春泥(しゅんでい)」。春のぬかるみ。春先は雨量が増え気温も低いので、土の乾きが遅い。加えて雪解けもあるから、昔の早春の道はぬかるみだらけだった。掲句には、草履に足袋の和服姿の女性を想像する。ぬかるみを避けながら、なんとかここまで歩いてはきたものの、ついに一歩も進めなくなってしまった。右も左も、前方もぬかるみだ。さあ、困った、どうしたものか。と、困惑して、いままで地面に集中していた目をあげ、行く先の様子を見渡している。見渡してどうなるものでもないけれど、誰にも覚えがあると思うが、半ば本能的に「面(おも)あげぬ」ということになるのである。当人にとっての立ち往生は切実な問題だが、すぐ近くの安全地帯にいる人には(この句の読者を含めて)どこか滑稽に見える光景でもある。作者はそのことをきちんと承知して、作句している。そこが、面白いところだ。我が家への近道に、通称「じゃり道」という短い未舗装の道がある。雨が降ると、必ずぬかるむ。回り道をすればよいものを、つい横着をして通ろうとする。すると、年に何度かは、掲句のごとき状態に陥ってしまう。上野泰に「春泥を来て大いなる靴となり」がある。『實生』(1957)所収。(清水哲男)


February 0422002

 立春の鶏絵馬堂に歩み入る

                           佐野美智

春。まだまだ寒い日々はつづくけれど、春の兆しはあちこちに……。掲句も、その一つのように読める。「絵馬堂」には、大きくて立派な絵馬が、額に入れて掲げられている。そんないかめしい感じの絵馬堂に、放し飼いにされた「鶏(とり)」がひょこひょこと入っていった。まさか何かを祈願するためであろうはずもなく、作者は何の屈託もない鶏の様子に、今日の「春」の訪れを見て取ったのだろう。さらには薄暗い絵馬堂に配して、小さな白い鶏。このときに絵馬堂は大きな冬で、鶏は小さな春を感じさせる。ところで、立春とは不思議な言い方だ。風が立つなどなら体感的に納得できるが、春が立つとはこれ如何に。なぜ「始春」や「入春」ではないのだろうか。調べてみたら、曲亭馬琴編の『俳諧歳時記栞草』に由来が古書より引用されていた。「大寒後十五日斗柄建艮為立春」と。「斗柄(とへい)」は、北斗七星の杓子形の柄にあたる部分を言い、古代中国ではこの斗柄の指す方向によって季節や時刻を判別したという。「艮(ごん・こん)」は北東の方位。つまり、斗柄が北東の方角に建ったときをもって春としていたわけだ。したがって、立春。なお「建春」ではなく「立春」の字を用いるのにも理由はあるが、ややこしくなるので省略します。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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