キャンプ・イン。というだけでワクワクする。やっぱり野球はいいなあ。野球小僧魂未だ衰えず。




2002ソスN2ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0222002

 一生を泳ぎつづける鮪かな

                           星野恒彦

語は「鮪(まぐろ)」で冬。なぜ冬なのか。冬に食べるのが、いちばん美味だからである。鮪にかぎらず、多く動植物の季節への分類は、食べごろをポイントになされている。その意味で、歳時記は人間の食い気がいかに旺盛かを示す「食欲辞典」の趣もある。ところで、掲句は食欲とは無関係だ。おそらくは、魚市場かどこかで丸のままの大きな鮪を見ての感慨だろう。べつに鮪でなくても、鯛や平目でも構わないようなものだが、しかし、鮪の流線型というのか紡錘形というのか、とにかく猛烈なスピードで泳ぐための体型があって、はじめて句が生きてくる。英語では、鮪を「tuna(ツナ)」と言う。ギリシャ語の「突進」という言葉に由来するそうだ。古代から、鮪の高速遊泳に、人々は目を瞠っていたというわけである。すなわち、鮪は一生をひたすら「突進」しつづける魚ということであり、比べれば鯛や平目のイメージは休み休み泳いでいるような感じがする。一生を突進しつづけるとは、勇壮にして豪放だ。が、他方では、何故に突進しなければならないのか。何故に、そんな運命に生まれついたのか。そうした哀しい感情もわいてくる。そういう句だと思う。『麥秋』(1992)所収。(清水哲男)


February 0122002

 二月はや天に影してねこやなぎ

                           百合山羽公

語は「二月」と「ねこやなぎ(猫柳)」で、いずれも春。いわゆる季重なりの句ではあるけれど、まったく気にならない。はやくも二月か……。そういう意識であらためて風景を見つめてみると、いつしか猫柳のつぼみもふくらんできていて、まぶしく銀色に輝いている。それを「天に影して」とは、美しくも絶妙な措辞だ。このときに猫柳はこの世(地上)のものというよりも、作者には半ば天上のもののようにも見え、はるかなる天空に銀色の光りを反射させているのだった。この句を見つけた山本健吉の『俳句鑑賞歳時記』(角川ソフィア文庫)には「天外の奇想」とあるが、私には少しも「奇想」とは思えない。むしろ、ごく自然に溢れ出てきた感慨であり、見立てだと写る。自然な心を細工をせずに素直に流露しているので、一見抽象的には見えるが、句景としては極めて具象的ではないのか。私などは故郷の川畔に群生していた猫柳を思い出し、なるほど、春待つ心にいちばん先に応えてくれたのは猫柳の光りだったなとうなずかされた。春とはいえ、二月はまだ農家の仕事も忙しくなく、学校帰りに道草をしては、川のなかの生き物どもの動きを、飽かずのぞきこんだりしていたっけ。(清水哲男)


January 3112002

 風鬼元風紀係よ風花す

                           坪内稔典

語は「風花(かざはな)」で冬。晴天にちらつく雪。晴れてはいるが、風の吹く寒い日の自然現象だ。句は「風」を三つも持ちだして、徹底的に遊んでいるわけだが、妙に心に沁みてくる。「風紀係」のせいだろう。敗戦直後の民主主義勃興時の学校では、学級委員のなかでも「風紀係」がもっとも実効性を発揮できた。ハンカチを忘れてないかとか、買い食いをしなかったかだとかをチェックする係。いま思うに、この係だけは、戦前からの価値観をそのまま適用でたので動きやすかった。真面目な子が選ばれ、チェックの厳しかったこと。それに引き換え、名のみトップの「委員長」なんて係は、たとえば男女平等の理念はわかるとしても、実際に教室で何かが起きると、具体的にはなかなか反応できないのであった。ついでに言えば、私は永遠の「書記係」で、ついに今でもそのような者である。さて、いまや「元風紀係」は天に召され「風鬼(ふうき・風の神)」となって、あいかわらず地上のチェックには余念がない。「風花」も、彼ないしは彼女の真面目な働きの一貫だと、作者は言うのだろう。せっかく晴れていて、みんなが機嫌よくふるまおうとしているのに、わざわざ雪をちらつかせる(チェックを入れる)こともあるまいに……。一応こんなふうに読んでみたが、どうだろうか。掲句を一読、私たちの「風紀係」だったあいつを思い出した。どうしているだろう。『月光の音』(2001)所収。(清水哲男)




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