冬の落日は美しい。仕事を終えてバスに乗ると、しばらく真正面に見える…。生きててよかった。




2002ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1412002

 成人の日の大鯛は虹の如し

                           水原秋桜子

語は「成人の日」で、新年に分類する。大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます日。戦後にできた祝日だ。一月十五日と定めた(2000年から第二月曜日になった)理由は、おそらくは次の日が昔の奉公人の休日だった「薮入り」と関係しているのだろう。「薮入り」で父母のもとに帰ってくる若者たちは、いちだんと成長して大人びてくる。物の本によれば、この日を鹿児島地方では「親見参(おやげんぞ)」と呼び、離れて暮らす子供らが親を見舞う日になっていたそうだ。「成人の日」が法制化された敗戦直後の工場や商家などには、こうした風習がきちんと残っていただろうから、その前日を祝日にしたのは「大人になった自覚」云々の趣旨よりも、むしろハードに働く若者たちに連休を与えてやろうという「民主主義国家」としての「親心」が働いていたのではあるまいか。いわば「隠し連休」というわけで、粋なはからいだったのだと思いたい。掲句に解説の必要はなかろうが、子供の成人を「大鯛」でことほぐことが、決して大袈裟でも何でもない時代があったことが知れ、興味深く読める。それほどに、当人も親たちも「成人」のめでたさを実感できる社会の仕組みのなかで生きていたのだ。『合本俳句歳時記・新版』(1988・角川書店)などに所載。(清水哲男)


January 1312002

 麦の芽にぢかに灯を当て探しもの

                           波多野爽波

語は「麦の芽」で冬。冬枯れのなかに並ぶ若芽は、けなげな感じもあって印象深い。そのあたりを如何に詠むかが、俳人諸氏の腕の見せどころだ。たとえば虚子は「麦の芽の丘の起伏も美まし国」と、まことに美々しく詠んでいる。「美まし」は「うまし」。洒落るわけではないが「巧(うま)し」句ではある。類句とは言わなくとも、同じような情景の切り取り方をした句はゴマンとある。そんななかで、掲句は異色だ。麦畑を通りながら、不覚にも何か大切な物を落としてしまった。……と、帰宅してから気がついたのだろう。どう考えても、あのときにあのあたりで落としたようだ。もう日が暮れているので、懐中電灯を持って慌てて取って返す。で、たしかこの辺だったかなと見当をつけて懐中電灯のスイッチを入れた。その瞬間の情景をつかまえた句である。光の輪のなかに、とつぜん鮮やかに浮かび上がってきたのは当然ではあるが「麦の芽」だった。さて、読者諸兄姉よ。この瞬間に作者の目に写った「麦の芽」の生々しさを思うべし。こんなにも間近に、こんなにも「ぢかに」鮮やかに「麦の芽」を見ることなどは、作者にしても無論はじめてなのだ。「探しもの」が見つかったかどうかは別にして、この生々しさを句にとどめ得た爽波という人は、やはり只者ではない俳人だとうなずかれることだろう。晩年の作。1991年に、六十八歳で亡くなられた。もっともっと長生きしてほしい才能だった。『波多野爽波』(1992・花神コレクション)所収。(清水哲男)


January 1212002

 老いてゆく体操にして息白し

                           五味 靖

語は「息白し」で冬。句意は明瞭だ。年を取ってくると、簡単な動作をするにも息が切れやすくなる。ましてや連続動作の伴う「体操」だから、どうしても口で呼吸をすることになる。暖かい季節にはさして気にもとめなかったが、こうやって冬の戸外で体操をしていると、吐く息の白さと量の多さに、あらためて「老い」を実感させられることになった。一通りの解釈としてはこれでよいと思うけれど、しかしこの句、どことなく可笑しい。その可笑しみは、「老いてゆく」が「体操」にかかって読めることから出てくるのだろう。常識的に体操と言えば、老化防止や若さの維持のための運動と思われているのに、「老いてゆく体操」とはこれ如何に。極端に言えば、体操をすればするほど老いてゆく。そんな感じのする言葉使いだ。このあたり、作者が意識したのかどうかはわからないが、こう読むといささかの自嘲を込めた句にもなっていて面白い。ところで、この体操はラジオ体操だろうか。ラジオ体操は、そもそもアメリカの生命保険会社が考案したもので、運動不足の契約者にバタバタ倒れられては困るという発想が根底にあった。そんなことを思い合わせると、掲句は自嘲を越えた社会的な皮肉も利いてきて、ますます可笑しく読めてくる。『武蔵』(2001)所収。(清水哲男)




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