燃やせるゴミの収集も本日で終了。例年のことながら整理がつかず、数多のゴミを抱えての越年だ。




2001ソスN12ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 27122001

 心からしなのの雪に降られけり

                           小林一茶

代の帰省子にも通じる句だろう。ひさしぶりに故郷に戻った実感は、家族の顔を見ることからも得られるが、もう一つ。幼いころから慣れ親しんだ自然に接したときに、いやがうえにも「ああ、帰ってきたんだ」という感慨がわいてくる。物理的には同じ雪でも、地方によって降り方は微妙に、あるときは大いに異なる。これは江戸の雪じゃない。「しなの(信濃)の雪」なのだと「心から」降られている一茶の感は無量である。「心から」に一片の嘘もなく、だからこそ見事に美しい言葉として印象深い。ときに一茶、四十五歳。父の遺産について異母弟の仙六と交渉すべく、文化四年(1807年)の初冬に帰郷したときの句だ。「雪の日やふるさと人のぶあしらい」。家族や村人は冷たかったが、冷たい雪だけが暖かく迎えてくれたのだった。このときの交渉はうまくいかず、一茶は寂しく江戸に戻っている。遺産争いが決着するまでには、なお五年の歳月を要している。さて、この週末から、ひところほど過密ではないにしても、東京あたりでは帰省ラッシュがはじまる。故郷に戻られる読者諸兄姉には、どうか懐かしい自然を「心から」満喫してきてください。楽しいお正月となりますように。(清水哲男)


December 26122001

 雪くれて昭和彷う黒マント

                           浅井愼平

門俳人は、採らないかもしれない。季重なり(「雪」と「マント」は両方冬季)でもあり、「雪くれて」と「行きくれて」の掛け具合も、単なる思いつきといえばそうとも言えるからだ。しかし私には、こういう句はもっと作られるほうがよいと思われた。時代全体のありようを、心象風景的に視覚化してみせたところが実に新鮮だ。時代を詠むにしても、現実の視覚から時代を捉えて仕立て上げるのが多く従来の俳句だとすれば、掲句は時代の持つ漠たる観念性や雰囲気を先につかまえてから作句している。逆方向から、アプローチしている。もとより、従来の句も掲句の場合も、作者はそのあたりのことを截然と方法的に意識しているわけではないだろう。ないけれど、強いて誇張して考えれば、そういうことだと思える。この「黒マント」の人は、何者だかわからない。雪の日の夕暮れにどこからともなく現れ、「行きくれ」たような足取りで、たそがれてゆく「昭和」という時代を彷(さまよ)っているのである。夕暮れの「雪」の灰色がかった白と「マント」の黒とが、やがては夜の闇に同化していくことを想像すれば、読者には「黒マント」の人それ自体が「昭和」のように思えてくるだろう。いわば「昭和の亡霊」か。そして、今の平成の世にもなお、この人は彷いつづけているのだろうとも。『二十世紀最終汽笛』(2001)所収。(清水哲男)


December 25122001

 椅子かつぐひとにつづけり年の暮

                           田中正一

具屋の店員が配達の「椅子」をかついでいると読んでは、面白くない。当たり前にすぎるからだ。そうではなくて、たとえばスーツ姿のサラリーマンがかついでいる。普段ならよほど奇異に見えるはずだが、この時期であれば年用意のためと思えるので、不思議には感じない。きっと年内配達は無理と言われ、それならばと自分で引っかついで帰るところなのだろう。後ろを行く作者は、そんなふうに納得している。納得しないと、とても「椅子かつぐひと」につづくことなどは不気味でできない。歳末ゆえ、奇異とも思わずにつづくことができるわけだ。普段とは違う「年の暮」の街の状態を、一脚の「椅子」の扱われようで簡潔に描き出していて秀逸である。それにしても、この人。このあとで電車に乗るようなことがあったら、車内の座席ではなく、この「椅子」に腰掛けていくのだろうか。愉快な図だ。とまあ、これは句意に関係はないけれど……。このように、歳末ともなると、電化製品など大きな荷物を運ぶ人が増えてくる。そこが泥棒の付け目だと、聞いたことがある。どこやらの放送局から、スタンウェイだったかの高価なピアノを、四五人の男が白昼堂々と運び去ったのも、やはりこの時期だったように思う。ご用心。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)




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