新年用の新聞原稿が一本残っている。飲んで無理やり正月気分になって、書くしかない。昔からだ。




2001ソスN12ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 20122001

 魚眠るふる雪のかげ背にかさね

                           金尾梅の門

しい句だ。実景を詠んだと思われるが、となれば「魚(うお)」は、人が雪中の地上からでも認められる、たとえば池の大きな鯉あたりだろうか。鯉でなくともかまわないけれど、水中でじいっと動かない魚の「背」に、雪がこんこんと降りかかっている。雪は水面にまでは達するが、決して水中の魚にまで、そのまま届くことはない。魚は、常に「雪のかげ」を「背にかさね」て眠っているだけなのである。この情景は、いま直接に肌で雪を感じている作者にしてみれば、眼前の具象を越えて抽象的にまで高められたような美しいそれに写った。もとより人と魚とでは、寒暖に対しての生理は同じではない。でも、そんな理屈を掲句に押しつけるのは野暮というものだろう。作者は若き日に、父親の職業を継いでの売薬行商人であった。いわゆる「富山の薬売り」だった。「背」に風呂敷で包んだ大きな荷を文字通りに「背」負って、諸国をめぐり歩く商売である。だからこそ、こういう「背」の観察ができたのではあるまいか。たいていの人は「背」を意識しないで生きていく。「親の背を見て子は育つ」などという箴言は、人が「背」に無意識であるからこそ生まれてきた言葉である。作者名は「かなお・うめのかど」と読み、なんだか大昔の月並俳人のようであるが、1980年に八十歳で没した、れっきとした現代俳人である。『鴉』所収。(清水哲男)


December 19122001

 忘年会一番といふ靴の札

                           皆川盤水

風の店での「忘年会」で部屋に上がるとき、受け取った下足札に「一番」とあった。誰よりも早く到着したからではなく、偶然の「一番」である。他愛ないといえば他愛ない喜びだが、他の「四(死)番」や「九(苦)番」を渡されるよりも、たしかに気分はよいだろう。今年のイヤなことは「一番」に忘れて、よい年がやってきそうな心持ちになる。既に集まっている仲間に、早速この札を見せびらかしたかもしれない。作者、このとき七十六歳。稚気愛すべし。番号といえば、野球好きの連中には選手の背番号だ。銭湯の下足入れなどでは、好きな選手の番号が空いてないかと確かめる。昔は川上哲治の「16」が人気だったし、川上以降は長嶋茂雄の「3」や王貞治の「1」が抜群の占有率を誇っていた。エースナンバーの「18」の人気も高かった。そんな番号が、どういうわけか(としか思えないのだが)たまたま空いていたりすると、大人になってからも、束の間幸福な気分になったものだ。「ラッキー」と、思わずもつぶやいていた。いやはや、まことに他愛ない。最近はテレビ観戦が日常的になったので、背番号もあまり覚えない。覚える必要がないからだ。画面がみんな教えてくれる。昔は、ひいきチームの全レギュラーの番号をそらんじることなど当たり前だったが、いまではそんなファンの数も激減しているのではないか。『随處』(1994)所収。(清水哲男)


December 18122001

 炭俵的にぞ立つてゐようと思ふ

                           小川双々子

語は「炭俵(すみだわら)」で冬。当歳時記では「炭」の項に分類。最近はさっぱり見かけないけれど、あるところにはあるのだろうか。米俵とは違って、カヤなどで編んだ目の粗い俵である。もちろん、名のごとく炭を保管しておくための入れ物だ。炭がいっぱいにつまっている俵は、がっしりと直立している。が、中の炭が減ってくると、当たり前のことながら、だんだんへなへなと崩れそうに傾いてくる。だからときどき、重心を戻してやるために、持ち上げてゆさぶってやる必要がある。作者は、そんな不安定な「炭俵的にぞ」立っていたいと述べている。すなわち「俺が、私が」と自我を丸出しに直立して生きるのではなく、中身が少なくなれば重心がそれなりに変化していき、いまにも倒れそうになり、誰もゆさぶってくれなければ倒れかねない生き方をしたいと言うのである。阿弥陀仏の「他力本願」に似た心境だろうが、作者が敬虔なキリスト者であることを思えば、さまざまな宗教の求めるところは、ついにこのあたりに集約されるのかと考えさせられた。そんな大真面目な物言いはべつにして、傾いた「炭俵」の姿には、なかなか愛嬌がある。この句にもまた、大真面目の重心がどこか妙にずれているような不思議な愛嬌が感じられる。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)




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